タイフォン・システム
From Wikipedia, the free encyclopedia
アメリカ海軍は、第二次世界大戦末期より、全く新しい艦隊防空火力として艦対空ミサイル(SAM)の開発に着手していた。1944年4月の開発要請に応じ、ジョンズ・ホプキンズ大学応用物理学研究所(JHU/APL)が同年12月に提出した案に基づいて開始されたのがバンブルビー計画であった[1]。まもなく日本軍が開始した特別攻撃(特攻)の脅威を受けて開発は加速、また戦後もジェット機の発達に伴う経空脅威の増大を受けて更に拡大され、1956年にはテリア、1959年にタロス、そして1962年にターターが艦隊配備された。これらは3Tと通称され、タロスはミサイル巡洋艦、テリアはミサイルフリゲート(DLG)、そしてターターはミサイル駆逐艦(DDG)に搭載されて広く配備された[2]。
しかし、3Tファミリーのうち、もっとも早く開発が進行したテリアミサイルがようやく就役しつつあった1950年代後半の時点で、既にこれらのミサイル・システムには、設計による宿命的な限界が内包されていることが指摘されていた。具体的には、
という問題が指摘されていた。このために、同時に対処できる目標は射撃指揮装置の基数と同数(2~4目標)に制約されていた上に、自動化の遅れから、即応性にも問題があった[2]。一方、ソビエト連邦においては、1950年代末より対艦ミサイルの大量配備が進んでおり、複数のミサイルによる同時攻撃を受けた場合、現有の防空システムでは対処困難であると判断された[3]。
このことから、JHU/APLでは、アメリカ海軍との協力のもとで、1958年より次世代の防空システムの開発に着手した。これがタイフォン・システムである[3][1]。
構成
タイフォン・システムは、システム工学のアプローチにより、多機能レーダであるAN/SPG-59を中核として、武器管制システム (WDS) の武器管制機能と海軍戦術情報システム (NTDS) の意思決定機能を統合した統合化システムとして計画された。システム・リアクション・タイム 10秒、20の目標を同時追尾可能というもので、時代を考えると極めて野心的なものであった[3]。
AN/SPG-59多機能レーダー
AN/SPG-59は、目標を捜索・捕捉・追尾して、ミサイル経由追尾(TVM)方式でタイフォン・ミサイルを誘導するという多機能レーダであった。のちのAN/SPY-1とは違い、この時代のフェイズ・シフターの大きさ・重さ・高価さを考えると、フェーズド・アレイ・アンテナの採用は到底不可能であったことから、ルーネベルグ・レンズによるビーム・ステアリング方式の採用が決定された[4]。
システム構成としては、大直径の発信アンテナと、受信機として3つのルーネベルグ・レンズを使用し、動作周波数はCバンドと計画された。また、巡洋艦用と駆逐艦用に大小2つのタイプが計画され、ビーム・フォーマー素子は前者が10800素子、後者が3600素子、増幅器は2700台と900台、アンテナ素子は10200素子と3400素子であった[4]。
タイフォン・ミサイル
使用するミサイルは、ターターを代替する中射程型(タイフォンMR)とテリアを代替する長射程型(タイフォンLR)の組み合わせとなる計画であった。誘導方式はいずれも中途航程で慣性誘導、終末航程でTVM方式だが、推進方式が異なるという点でユニークな設計であった[4]。
