タウレドゥヌムの地すべりと津波
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| 現地名 | Tauredunum-Ereignis |
|---|---|
| 英語名 | Tauredunum event |
| 日付 | 563年 |
| 場所 | フランク王国オルレアン分王国[1] タウレドゥヌム、レマン湖 (現: |
| 座標 | 北緯46度21分27秒 東経6度51分7秒 / 北緯46.35750度 東経6.85194度座標: 北緯46度21分27秒 東経6度51分7秒 / 北緯46.35750度 東経6.85194度 |
563年のタウレドゥヌム(中世ラテン語:Tauredunum)の地すべりはレマン湖に達し、津波を発生させ、湖岸一帯を荒廃させた。二人の同時代の歴史家は、この災害がレマン湖の東のタウレドゥヌムという場所で起きたと伝えている。津波は湖全体に広がり、湖岸の村々を襲い、ジュネーヴの市壁をも押し流し、多数の死者を出した。 2013年10月の発表の研究によれば、ローヌ川がレマン湖に流れ込む地点に集積した堆積物の崩壊がトリガーとなり、地すべりを起こしたと指摘している。この崩壊が巨大な地下の泥流を生じた。それにより数億立方メートルの堆積物がレマン湖に押しだされ、最大で16メートルの津波を生じさせ、70分以内にジュネーヴを襲った。これ以前に4回の津波の証拠が見つかっており、これはレマン湖で繰り返される現象であることを示唆している。この出来事は再び繰り返されるおそれがあり、より多くの人々に影響を及ぼす可能性がある。
この出来事の詳細はトゥールのグレゴリウスの『フランク史』に書かれている。
ガリアではタウレドゥヌムの砦に異変が起きた。この城はロダヌス川畔にそびえていたのだが、ここで六〇日以上奇妙なとどろきが聞こえた。それから山が裂けて隣の別の山から離れ、人間、教会、財産、家々もろともロダヌス川中に没した。川の両岸が切り立っていたため、水は逆流した。この川は山に挟まれた隘路を急流となって下っていた。上流では水が氾濫して両岸にある物をさらって行った。水はふくれあがって下りつつ不意に人間に襲いかかり、上流でしたごとくにあまたの人命を奪い、家を転覆させ、家畜をさらい、岸辺にある一切合切を押し流し、ほとばしり溢れ、破壊しつつイェヌバの町におし寄せた。
多くの人が、水の巨大なかたまりがこの町の壁を易々と乗り越えたと伝えている。前述のごとくこの川は山隘を流れていたため他方へ転ずることができなかった。このため山が崩れると一度にあらゆるものをぬぐい去ったのである。
— トゥールのグレゴリウス 『フランク史』4.31、杉本正俊訳(2007), 新評論, pp. 172-173
また、アウェンティクムのマリウスの『年代記』にも記述がある。
タウレドゥヌムの場所、アルプスの津波

タウレドゥヌムの場所には議論があり、サン=モーリス(Saint-Maurice)付近のボア=ノワール森(Bois Noir)やサン=ギンゴルフ(Saint-Gingolph)付近のブランシャール峰(Pic du Blanchard)の麓などともいわれているが[3]、レゼヴエット(Les Evouettes)近郊のル・グラモン山(Le Grammont)であると考えられている。このあたりで、ローヌ川はレマン湖に注いでいる[4]。このような地すべりはアルプスでは珍しくなく、1963年10月にはトック山の斜面が崩壊し、2億6000万立方メートルの土砂がバイオントダム湖に流れ込み、発生した津波で2500人近くが死亡した[5]。より小規模ながら、地すべりによる津波はスイス国内でも他に少なくとも3件発生している(ルツェルン湖、ラウエルツ湖、ブリエンツ湖)。危険性はスイス連邦市民防衛局でも認識されており、地すべりによる津波は防災計画で評価されている。リギ山やビュルゲンシュトック山はよりリスクが高く、実際にビュルゲンシュトック山からルツェルン湖に巨礫が落水し、小規模な津波しか発生することは珍しくない[6]。
