タカハシホタテ
From Wikipedia, the free encyclopedia
| タカハシホタテ | |||||||||||||||||||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
仙台市で採集された化石(仙台市科学館) | |||||||||||||||||||||||||||
| 地質時代 | |||||||||||||||||||||||||||
| 中新世 - 更新世 | |||||||||||||||||||||||||||
| 分類 | |||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||
| 学名 | |||||||||||||||||||||||||||
| Fortipecten takahashii (Yokoyama, 1930) | |||||||||||||||||||||||||||
| シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
|

タカハシホタテ(学名 Fortipecten takahashii)は、二枚貝の種で、新生代の約700万年前から約100万年前まで北日本とサハリン・カムチャツカ周辺の海に棲息していた。軟体動物、二枚貝綱、イタヤガイ科、タカハシホタテ属。絶滅種。
1930年に本種を記載したのは東京帝国大学(今の東京大学)教授の横山又次郎[1]。 種小名 "takahashii" は、本種を含む多数の標本を送った樺太庁大泊中学校博物課の教授、高橋周一への献名である[2]。当時、樺太(サハリン)は日本領であった。
当初イタヤガイ属 (Pecten) とされたが、1940年(昭和15年)に東北帝国大学(今の東北大学)の矢部長克と畑井小虎が、新たにタカハシホタテ亜属 (Fortipecten) を提唱した[3][1]。1962年(昭和27年)に東北大学の増田孝一郎がタカハシホタテ属に昇格させた[3]。
横山は同じ産地の小型の化石にPecten agnatusという別種を見出したが、それは現在ではタカハシホタテの幼貝とみなされている[1]。
分布と時代
新生代の北西太平洋に分布。北海道を中心に、日本の東北地方、サハリン、カムチャツカ半島の、砂岩かシルト岩の地層から見つかる[4]。当時は浅い海であった[5][6]。鮮新世を中心にした冷水あるいは冷温帯を示す滝川・本別動物群の代表種である[1][7]
現在の北海道に相当する冷温帯に棲息し、分布の変化も水温に対応しているとみられる[8]。約700万年前、中新世末期に現れ、約600万年前までは北海道だけに分布していた[9]。最盛期は鮮新世で、約500万年前にはサハリン、東北地方、約400万年前にはカムチャツカまで拡大した[9]。その後気候の寒冷化とともにしだいに分布域が狭まり、更新世初めには北海道に限られるようになり、約100万年前に絶滅した[9]。
絶滅の原因としては、気候の寒冷化のほかに、後述の氷山戦略が、優勢な捕食者の前に抗いきれなかったという可能性も指摘される[10][11]。
形態
上から見た形は現生のホタテガイに近いが、横からみると片方の殻(右殻)が椀のように分厚く膨れている[5][6]。大きさも、上から見る分にはホタテガイ程度だが、貝殻が格段に分厚い、重量は大きなもので1kgを越える[12]。
右殻を椀とすると、平たい左殻が蓋のように合わさる。膨らみの程度は、場所と時代で差がある[13]。左殻に他の生物の付着や穿孔のあとが多く、右に少ないことから、右を下にしていたことがうかがえる[14]。
殻の付け根の左右につく耳は大きく直線的で、左右あわせて殻長に匹敵する長さになり、足糸湾入が小さい[15]。殻の本体が付け根でつくる頂角は110度[15]。右殻の放射肋は15本程度、左殻には10数本[15]。