タブンの父は「国老」を意味する称号を授けられた天山ウイグル王国の重臣で、タブンは鷹揚な人柄から「揚公」とも呼ばれていた[1]。
タブンはチンギス・カンに仕えて各地を転戦し、遼西方面に進出したときには平灤・白霫諸城の攻略に功績を挙げた。軍中で妄りに人殺しをする者が居た時には「国の根本は民であり、殺人は国に何の利益ももたらさない」と述べてやめさせたという。これを聞いたチンギス・カンはタブンを取り立て、金虎符を授けて白霫諸郡に駐屯させた[2]。
その後、タブンは興平に移ったものの、興平は長年にわたる兵乱によって荒廃していた。タブンは現地の不老を呼び出して聞き取りを行い、税を薄くして生活を安定させ、700戸しかなかった人口を1・2年の内に1万戸近くに増加させた。1234年(甲午)には李仙・趙小哥らが起こした乱を鎮圧している[3]。
1243年(癸卯)に病で亡くなり、息子のアルキシュ・テムルが後を継いだ[4]。