タル・ファーロウ
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1923年6月7日にノースカロライナ州グリーンズボロに生まれる。マンドリンをたしなむ父親の影響で、9歳からマンドリンを弾き始めた。1940年にラジオから流れるベニー・グッドマン楽団のチャーリー・クリスチャンに触発されて、エレキギターを買い、クリスチャンのコピーを始める。
若年から始めた看板描きの仕事のかたわら、夜は地元のバンドに加わって演奏するうち、1943年からダーダネル・ケンブリッジのトリオに加わる。ニューヨークでチャーリー・パーカーらのビバップに衝撃を受けて1945年にダーダネルのトリオを辞め、いったん故郷へ帰る。
1947年に演奏稼動を再開し、バディ・デフランコやマージョリー・ハイアムズのバンド、マーシャル・グラント楽団で演奏した後、1949年にマンデル・ロウの後任としてレッド・ノーヴォ・トリオに参加。ノーヴォ・トリオでの演奏は注目を集めるようになる。トリオを辞めた後アーティ・ショウのコンボであるグラマショー・ファイヴに半年間在籍、その後自身のバンドを結成する。
1954年に初リーダー作『タル・ファーロウ・カルテット』を発表。同年『ザ・タル・ファーロウ・アルバム』、翌1955年に『インタープリテーションズ・オブ・タル・ファーロウ』、自己のトリオを結成してからは1956年に『タル』、『ザ・スウィンギング・ギター・オブ・タル・ファーロウ』を録音する。1958年には『ディス・イズ・タル・ファーロウ』を発表するも、この年に結婚を機に地元に戻り、演奏活動からは退いてしまう。
それから10年後の1968年のニューポート・ジャズ・フェスティバルで復帰。翌年に『ザ・リターン・オブ・タル・ファーロウ』を発表し、その後も地道に活動を続ける。1998年7月25日に食道ガンによりニューヨークで死去。満77歳没。