ダイハツディーゼルNHN
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沿革
ニッカナ
ツバサ工業
- 1952年9月12日 - オート三輪の販売店から自動二輪発売の要望を受け、ダイハツと阪神内燃機工業の共同出資でツバサ工業株式会社を設立[4]。阪神内燃機工業より茨木工場の譲渡を受け[5]、大阪府茨木市に本社並びに工場を置く[6]。
- 1953年7月 - 「強力・堅牢・経済」をモットーにした実用車、ツバサ号自動二輪車 T-80型(250cc)を発売[6]。ツバサの名は昭和初期のオート三輪から引き継ぎ、ダイハツのディーラーで販売された[4]。T-80型はマイナーチェンジで軽量化されてT-80A型となる[7]。
- 1954年4月 - 琵琶湖一周全日本オートレースに参加し、一着の栄冠を得る。この頃、ツバサ号を関西電力、九州電力、大阪瓦斯などに納入[6]。
- 1955年9月 - シャフトドライブのG-120型登場[7]。
- 1957年 - ダイハツ・ミゼットのエンジン及びリヤアクスル組立品の製造を開始[3]。
- 1958年10月 - セルモーター装備、ガソリンタンクとヘッドライトを一体化したユニークなデザインのファイター(125cc)発表[7]。
- 1959年
昭和20年代には中小バイクメーカーが乱立したが、昭和30年代半ばには単車業界の企業格差と淘汰が進んだ。ツバサ号は製品のバラツキやクレームの増大もあり、シェアは広がらなかった[7]。その一方で、当時のオートバイは250ccクラスで150kgもの荷物を積んで走行しており、当時最小クラスの750kg積みオート三輪と二輪車間の潜在的なニーズにこたえるものとして軽三輪車のダイハツ・ミゼットが生まれている[7]。