ダグラス・グラハム (第5代モントローズ公爵)
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第4代モントローズ公爵ジェームズ・グラハムと妻キャロライン・アグネス(1818年 – 1894年11月16日、第2代デシーズ男爵ジョン・ホースリー=ベレスフォードの娘)の三男として、1852年11月7日にロンドンで生まれた[1][2]。長兄ジェームズ・ジョンは1846年1月に生後11か月で夭折し、次兄ジェームズも1872年に満24歳で早世した[1]。1865年から1869年までイートン・カレッジで教育を受けた後、1874年12月30日に父が死去すると、モントローズ公爵位を継承した[1]。
1870年10月22日に中尉としてハイランド・ボーダラーズ軽歩兵民兵連隊(Highland Borderer's Light Infantry Regiment of Militia)に入隊[3]、1876年6月14日に名誉隊長に任命された[4]。連隊が1881年のチルダース改革でルイーズ王女のサザーランド・アンド・アーガイル・ハイランダーズ連隊第3大隊に再編されると、1881年10月22日に名誉隊長を辞任して副隊長(中佐)に就任[5]、1897年6月に大隊の指揮官に任命された[6]。1883年1月10日にラナークシャー・ヨーマンリー連隊の大尉から少佐に昇進した[7]。
正規軍では1872年8月14日に少尉としてコールドストリームガーズに入隊[8]、1875年2月27日に第5ロイヤル・アイリッシュ・ランサーズ連隊に転じ[9]、同年8月に1874年8月14日付で中尉に昇進したことが発表された[10]。1877年9月5日に正規軍から引退した[11]。ただし、第二次ボーア戦争には1902年に参戦して、飾版つき記章(medal, 2 clasps)を授与された[1]。1914年に第一次世界大戦が勃発すると、同年9月27日にルイーズ王女のサザーランド・アンド・アーガイル・ハイランダーズ連隊第7大隊の臨時副隊長に任命された[12]。また1897年6月にヴィクトリア女王の定員外エー=ド=カン(副官)に任命されており[6]、エドワード7世、ジョージ5世の治世でも続投したが[1]、1915年11月20日に王室家政の規模削減により辞任した[13]。1917年8月8日、准将を名誉階級として与えられた[14]。
1879年11月29日にシッスル勲章を授与され[1]、1917年4月7日にシッスル騎士団長に任命された[15]。1890年5月3日に選挙名簿管理長官に任命された[16]。1907年に大日本帝国より旭日章を授与された[1]。1916年5月8日にスコットランド教会総会への勅使に任命され[17]、1917年5月7日にも同様の任命がなされた[18]。
1883年時点でスターリングシャーに68,565エーカー、パースシャーに32,294エーカー、ダンバートンシャーに2,588エーカー、合計で103,447エーカー(年収24,872ポンド相当)を所有する大地主である[1]。1885年7月23日にスターリングシャー統監に任命され[19]、1925年に死去するまで務めた[20]。
1925年12月10日にグラスゴーで死去、14日にスターリングシャーのブキャナンで埋葬された[1]。長男ジェームズが爵位を継承した[1]。

