ダグラス・バーダー
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| ダグラス・バーダー Sir Douglas Robert Steuart Bader | |
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ダグラス・バーダー(1955年) | |
| 渾名 | 足無しバーダー、Dogsbody(バーダーのRAF無線IDコードより) |
| 生誕 |
1910年2月21日 |
| 死没 |
1982年9月5日(72歳没) |
| 所属組織 |
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| 軍歴 | 1928年 - 1938年、1939年 - 1946年 |
| 最終階級 | 大佐 |
| 勲章 |
ナイト・バチェラー 大英帝国勲章コマンダー 殊功勲章およびメダル・バー 殊勲飛行十字章およびメダル・バー 勲功記章 |
| 除隊後 | 航空コンサルタント、障害者活動家 |

サー・ダグラス・ロバート・スチュアート・バーダー(Sir Douglas Robert Steuart Bader、1910年2月21日 - 1982年9月5日)は、イギリス空軍(RAF)の軍人で、第二次世界大戦中のエース・パイロット。事故によって両足を失ったが、義足を履いて戦い続けたパイロットとして知られる。1941年8月にドイツ軍の捕虜になるまでに公認戦果22、共同撃墜4、不確実6、撃破11の戦果を挙げた[1][2]。RAF認識番号26151。
1928年にイギリス空軍に入隊し、1930年にパイロットとして配属された。1931年、曲技飛行中の事故により両足を切断。瀕死の重傷を負いながらも奇跡的に回復し、義足を履いて訓練飛行を再開したが、医療上の判断により退役を余儀なくされた。
1939年、第2次世界大戦の勃発と共に軍に呼び戻され、現場復帰を果たした。1940年のダンケルクの戦いにおいて初戦果を挙げ、バトル・オブ・ブリテンにも参加した。
1941年8月、フランスでの作戦中に撃墜され、ドイツ軍の捕虜となった。拘留中、ドイツのエースパイロットであるアドルフ・ガーランドと親交を結んだ[3]。何度か脱出を試みたが全て失敗、最終的にザクセン州ライプツィヒ郡のコルディッツ城に送られ、1945年4月にアメリカ陸軍第1軍によって解放された。
1946年2月、イギリス軍を退役。戦後は石油企業で働く傍ら、趣味でパイロットを続けた。また自分と同じように障害を持つ人々への支援活動を行った。1950年代にはバーダーたち戦闘機パイロットの活躍を描いた映画『殴り込み戦闘機隊』(Reach for the Sky)が公開された。1976年、障害者支援の功績が称えられ勲章が授与された。
1979年、健康を害しパイロットを辞めた。3年後の1982年9月5日、心臓発作により死去。72歳没。