ダグ・ミッチェル
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ミッチェルのプロデューサーのキャリアは1980年代半ばにオーストラリアのシドニーを拠点とするケネディ・ミラー・プロダクション・ハウスのメンバーとして始まる。1980年代後半に彼はジョージ・ミラー及びテリー・ヘイズと共にオーストラリア映画協会賞の作品賞に3度ノミネートされた[1][2][3]。彼らは1987年に『君といた丘』で作品賞受賞、1989年に『デッド・カーム/戦慄の航海』でノミネート、1990年に『ニコール・キッドマンの恋愛天国』で2度目の受賞を果たしている[1][2][3] 。
1995年にミッチェルはジョージ・ミラーとその弟のビル・ミラーと共に『ベイブ』でアカデミー作品賞にノミネートされる[4]。『ベイブ』はアカデミー賞で合計7部門にノミネートされ、視覚効果賞を獲得した[4]。『ベイブ』はゴールデングローブ賞映画作品賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞し、英国アカデミー賞作品賞と全米製作者組合賞劇場映画賞にもノミネートされた[5][6]。
2006年にミッチェルはミラー兄弟と共にコンピュータアニメーション映画『ハッピー フィート』を製作する。『ハッピー フィート』は同年のアカデミー長編アニメ映画賞と英国アカデミー賞アニメ映画賞を受賞し、ゴールデングローブ賞アニメ映画賞にもノミネートされた。さらに3人は第18回全米製作者組合賞アニメ映画賞にもノミネートされた[7]。2011年には続編の『ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊』が公開され、彼らは2012年のアジア太平洋映画賞最優秀アニメーション映画賞にノミネートされた[8]。
2015年にミッチェルはジョージ・ミラー監督の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』でミラーと共にプロデューサーを務めた。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はアカデミー賞で作品賞を含む10部門にノミネートされ、6部門で受賞を果たした。
主なフィルモグラフィ
映画
| 年 | 日本語題 原題 |
クレジット | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1985 | マッドマックス/サンダードーム Mad Max Beyond Thunderdome |
共同製作 | |
| 1985 | The Making of Mad Max Beyond Thunderdome | 共同製作 | ビデオ映画・ドキュメンタリー |
| 1987 | 君といた丘 The Year My Voice Broke |
製作 | |
| 1987 | The Riddle of the Stinson | 製作 | テレビ映画 |
| 1988 | The Clean Machine | 製作 | テレビ映画 |
| 1988 | Fragments of War: The Story of Damien Parer | 製作 | テレビ映画 |
| 1989 | デッド・カーム/戦慄の航海 Dead Calm |
製作 | |
| 1991 | ニコール・キッドマンの恋愛天国 Flirting |
製作 | |
| 1992 | ロレンツォのオイル/命の詩 Lorenzo's Oil |
製作 | |
| 1995 | ベイブ Babe |
製作 | |
| 1996 | Video Fool for Love | 製作 | |
| 1997 | 40,000 Years of Dreaming | 製作 | テレビ映画・ドキュメンタリー |
| 1998 | ベイブ/都会へ行く Babe: Pig in the City |
製作 | |
| 2006 | ハッピー フィート Happy Feet |
製作 | |
| 2011 | ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊 Happy Feet Two |
製作 | |
| 2015 | マッドマックス 怒りのデス・ロード Mad Max: Fury Road |
製作 | |
| 2024 | マッドマックス:フュリオサ Furiosa |
製作 | |
テレビシリーズ
| 年 | 日本語題 原題 |
クレジット | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1984 | Bodyline | 製作総指揮 | ミニシリーズ |
| 1984 | カウラ大脱走 The Cowra Breakout |
製作 | ミニシリーズ |
| 1987 | Vietnam | 製作 | ミニシリーズ |
| 1988 | The Dirtwater Dynasty | 製作 | ミニシリーズ |
| 1989 | 囚われた女 Bangkok Hilton |
製作 | ミニシリーズ |