ダコタ・ステイトン
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| ダコタ・ステイトン Dakota Staton | |
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ダコタ・ステイトン(1965年) | |
| 基本情報 | |
| 生誕 | 1930年6月3日 |
| 出身地 |
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| 死没 |
2007年4月10日(76歳没){ |
| ジャンル | ジャズ、R&B、ソウル、ブルース |
| 職業 | 歌手 |
| 担当楽器 | ボーカル |
| 活動期間 | 1970年 - 1999年 |
ダコタ・ステイトン(Dakota Staton、1930年6月3日 - 2007年4月10日)[1]は、アメリカ合衆国のジャズ・ボーカリストで、特にチャートの4位まで上昇した1957年のヒット曲「ザ・レイト、レイト・ショウ (The Late, Late Show)」で国際的に知られた。また、アフマディーヤのイスラム教に改宗して、アリーヤ・ラビア (Aliyah Rabia) というムスリム名を名乗った時期があった[2]。
ペンシルベニア州ピッツバーグのホームウッド地区に生まれた彼女は、ジョージ・ワシントン高等学校を経て[1]、ピッツバーグのフィリオン音楽学校 (Filion School of Music in Pittsburgh) で音楽を学んだ。その後、ジャズが盛んだったヒル・ディストリクトで、ボーカリストとして活動し、ピッツバーグの地元で人気のあったジョー・ウェストレイ楽団 (Joe Westray Orchestra) と定期的に共演するようになった。その後の数年間は、デトロイト、インディアナポリス、クリーブランド、セントルイスなどの都市を回る、ナイトクラブのサーキットに身を投じた。ニューヨークで、ハーレムのベイビー・グランド (Baby Grand) というナイトクラブで歌っていたとき、キャピトル・レコードのプロデューサーだったデイヴ・キャヴァノーに見出された。レコード契約を結んだ彼女は、数枚のシングルを出し、1955年には『ダウン・ビート』誌から「最も有望な新人 (Most Promising Newcomer)」賞を贈られた。1958年には、タリブ・ダウードと結婚したが[3]、彼はアンティグア島生まれの黒人で、アフマディーヤ・ムスリムのジャズ・トランペット奏者であり、イライジャ・ムハンマドについての批評家としても知られていた[4]。この結婚によって彼女はイスラム教に改宗し、一時期はアリーヤ・ラビアと名乗った[5]。しかし、この結婚は、結局のところ離婚に終わった[2]。
1950年代後半から1960年代前半にかけて、彼女は高く評価されたアルバムを出し続け、タイトル曲が彼女の最大のヒットとなったアルバム『The Late, Late Show』(1957年)、ピアニストのジョージ・シアリングと組んだ『In the Night』(1958年)や、『Dynamic!』(1958年)、そしてボストンのジャズクラブであるストーリーヴィル (Storyville) で収録されたライブ・アルバム『Dakota at Storyville』(1962年)などが発表された。1960年代半ばに、ステイトンは活動の拠点をイングランドへ移し、アルバム『Dakota '67』を吹き込んだ。1970年代前半のうちに合衆国に戻った後も[6]、ほぼ定期的に吹込みを継続し、その録音の内容は、段々とゴスペルやブルースの影響が色濃くなっていった。1999年には脳卒中を患い、以降は健康が優れない状態となっていった[6]。2007年、ステイトンはニューヨークにて、76歳で死去した[1]。