ダバイーの戦い
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1729年、マラーター王国の軍総司令官カンデー・ラーオ・ダーバーデーが死亡し、1730年にその息子トリンバク・ラーオ・ダーバーデーが父の地位を継いだ[1]。
ところが、トリンバク・ラーオは次第に王国宰相バージー・ラーオに反目するようになり、ついにはグジャラートを自己の勢力範囲と見なして、ニザーム王国の援助を得て公然と反抗するようになった[2][3]。
そのため、1731年3月、宰相バージー・ラーオはグジャラートで活動していたピラージー・ラーオ・ガーイクワードと合流し、トリンバク・ラーオの討伐へと向かった[3]。