ダンツホース
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3歳(1987年)
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1987年8月29日、佐賀競馬場のアラ系3才(ダート900m)でデビュー。2着馬ニシノラツキーに6馬身差を付け勝利を収めた。9月6日には400m延長した1300mでの競馬で、4番人気に支持され2着と好走。続くアラ系3才にて5番人気という人気薄を跳ね除け1着入線。2着馬ダンツスタリヨンに4馬身差を付けての勝利となった。10月24日、11月3日の背振賞では掲示板入りこそするも勝利を逃した。特に11月3日の背振賞は1番人気を裏切っての4着入線となった。次戦ははがくれ賞tr。これまでの上川薫に乗り替わり三小田幸人が手綱を握った。先の凡走が響き9番人気と人気を落とすも5着に食い込んだ。12月13日のはがくれ賞では6番人気のカモイケタイガーを捉えきれず2着と惜敗。なおトライアル優勝馬で1番人気だったマルシゲツバメは3着だった。
4歳(1988年)
4歳シーズン初戦は1月10日のくすのき賞。1番人気こそキンコーツバサに譲るも、2着馬ハツコウチカラに3馬身差を付け勝利。その後は破竹の勢いでB級戦線を勝ち抜き、10戦5勝で迎えた弥生賞(現:九州弥生賞)。出走メンバーの中で唯一の重賞馬だったカモイケタイガーが圧倒的1番人気に推される中、2番人気に支持されたダンツホース。結果はダンツホースが1分56秒9で重賞初制覇。2着ははがくれ賞3着のマルシゲツバメ、1番人気に推されたカモイケタイガーは3着で決着した。4月16日にはB1級の玄海賞に出走、2番人気の3着と好走。続く4月29日の玄海賞でも1番人気の2着と、勝ち星こそ上げられなかったものの善戦を繰り広げた。5月も玄海賞に出走。しかし1番人気の5着とここでも勝ち抜くことはできなかった。約7ヶ月ぶりの実戦となった12月3日の玄海賞は7着と惨敗。続く12月17日の玄海賞でも7着と惨敗した。
5歳(1989年)
5歳シーズン初戦は1月2日の玄海賞。4番人気まで回復するも8着と大敗。以降は休養に入り、実戦に復帰したのは約11ヶ月後の12月16日。9番人気という最低人気をマークするも8着とビリは回避した。なおこのときの鞍上は主戦の上川薫ではなく間延夫だった。それ以降は長期間出走せず、1991年4月1日に地方競馬の登録を抹消[2]された。現役を退いた後は種牡馬にはならず、消息不明になる。