チェッカーズ (カントリー・ハウス)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| チェッカーズ | |
|---|---|
|
| |
![]() | |
| 別名 | Chequers Court |
| 概要 | |
| 用途 | 首相官邸 (別荘) |
| 建築様式 | エリザベス様式 |
| 住所 | Missenden Road, Aylesbury, Buckinghamshire |
| 国 |
|
| 座標 | 北緯51度44分36秒 西経0度46分55秒 / 北緯51.74333度 西経0.78194度座標: 北緯51度44分36秒 西経0度46分55秒 / 北緯51.74333度 西経0.78194度 |
| 入居者 | キア・スターマー首相(2025年) |
| 完成 | 1556年頃 |
| クライアント | ウィリアム・ホートレイ |
| 所有者 | チェッカーズ・トラスト |
| 技術的詳細 | |
| 資材 | 煉瓦石造・瓦葺 |
指定建築物 – 等級 I | |
| 登録名 | Chequers |
| 登録日 | 1955年6月21日 |
| 登録コード | 1125879 |
| 登録名 | Chequers |
| 登録日 | 1987年8月30日 |
| 登録コード | 1000595 |
| Grade | II |
チェッカーズ(英語: Chequers, [ˈtʃɛkərz])は、イギリスの首相のカントリー・ハウス。ロンドンから北西に64キロのバッキンガムシャーのエルズボロ近郊にあるこの邸は、16世紀のマナーハウスに起源を持ち、1917年、初代フェアラムのリー子爵アーサー・リーによって国に寄付されたものである[1]。
チェッカーズという名前は12世紀のエルズボロの領主エライアス・オストリウス(Elias Ostrius、またはド・スカッカリオde Scaccario)に由来する[2] 。これは大蔵省(Scaccario)の守衛(ostrius)を意味するが、Scaccarioはチェス盤の意味にも通じ、エライアスの紋章にはチェス盤が含まれていた。つまり、この邸の名前は、大蔵省(Exchequer)とチェス盤(chequerboard)に由来する。この所領はその後スカッカリオ家からドートリー家(D'Awtrey、英語風に改姓してホートレイ家)の手に渡った。
別の説として、チェッカーツリー(カエデバアズキナシ、Sorbus torminalis)が庭に生えていたからというのもある[3]。
歴史

現在の建物は、1565年頃にウィリアム・ホートレイ(William Hawtrey)が建てたものだが、以前の建物も再利用されたかもしれない[4]。館のレセプションルームに彼の名前は残っている。ホートレイはジェーン・グレイの妹のメアリー・グレイの管財人を務めており、エリザベス1世によりメアリーが宮廷を追放されて蟄居させられた際、彼女は1565年から1567年の間この邸で過ごすことになる[5][6] 。彼女の部屋は現在もそのままにされている[7]。
その後、邸は女系によってウーレイ家(Wooley)、クロック家(Croke)、サーベイン家(Thurbane)の手に渡った。1715年に、邸の主はオリヴァー・クロムウェルの孫のジョン・ラッセル(John Russell)と結婚した。この縁で、現在も邸はクロムウェルの遺品を多く保管している。
19世紀になって、ラッセル家はヘンリー・ローズ(Henry Rhodes)を雇って館をゴシック様式に改築した[4]。 テューダー様式の外壁と窓は取り払われ、代わりに小尖塔を持つ胸壁がつけられた。しかし婚姻により館がアストレイ家の手に渡ると、1892年から1901年の間に、バートラム・アストレイはレジナルド・ブロムフィールド(Reginald Blomfield)の助言を受けて、エリザベス様式に復元する[4]。ジョン・バーチ(John Birch)がこの仕事を完成させた[8]。
20世紀
このさきこの国の権力を執るものが、どんな階層や状況のもと生を送る者から選ばれることになるのか、予見したり予言したりすることは不可能である。あるいはかつて同様資産家や名望家の子孫だろう。あるいは、貿易や商業の世界の人だろう。またあるいは手工業労働者階級から身を立てたのかもしれない。その誰であれ(中略)、チェッカーズの精気と静謐に良い影響を受けないものはないだろう。(中略)指導者が健康であればあるほど、統治もより良識あるものとなる。したがってチルターンの丘や森にただよう高地の澄んだ空気に包まれ週2日を過ごすという良い誘因が、選ばれた指導者のみならずこの国家にとっても利益をもたらすことが期待できるのである。 — SIR ARTHUR LEE、Chequers Estate Act 1917[9]

1909年、この邸は初代フェアラムのリー子爵アーサー・リーとルースの夫妻に賃借された[10]。リーは直ちに、ブロムフィールドに内装の復元を依頼した。並行して1911年から1912年にヘンリー・アヴレイ・ティッピング(Henry Avray Tipping)が複数の庭をデザインしている[11]。1912年、邸の所有者のヘンリー・デラヴァル・アストレイ(Henry Delaval Astley)が亡くなり、ルースと姉妹が邸を購入しアーサーにプレゼントした[12]。
第一次世界大戦中、この邸は兵士の病院やリハビリ施設となる。戦後は個人の邸に戻るも、リーには子供がなかったためチェッカーズをイギリスの首相のカントリー・ハウスにすることにした。それまでイギリスの首相は地主階級に属していたが、第一次大戦後には新しい血筋の政治家が現れていた。彼らはそれまでの首相が国賓を楽しませ、公務から解放させてくれる広々としたカントリー・ハウスをもっていなかったのである。デイヴィッド・ロイド・ジョージ政権下での長い議論を経て、1917年12月20日、1917年チェッカーズ法[13]が成立し、チェッカーズは現職首相の保養地となった[9]。1921年1月8日、チェッカーズでの最後の晩餐の後、リー夫妻はここを後にした。リーとロイド・ジョージには意見の対立があったものの、何事もなく引き渡しは行われた[14]。
チェッカーズにはイギリス最大級の絵画のコレクションやオリヴァー・クロムウェルの遺品がある。また、国家的なアンティークや稀覯本を有名な「ロング・ギャラリー」に収めている。中にはホレーショ・ネルソンの日記や「チェッカーズ・リング」と呼ばれるエリザベス1世の数少ない現存するジュエリーが含まれているが、一般には公開されていない。
近くのクーン丘陵(Coombe Hill)は1920年代まで、チェッカーズの一部だったが、ナショナル・トラストに譲渡された。クーン丘陵とチェッカーズはチルターン特別自然美観地域の一部である。また、チェッカーズを取り巻く園地、森、庭園はRegister of Historic Parks and Gardensに登録されている[11]。
第二次世界大戦当初、チェッカーズは警備が不十分であるとみなされ、ウィンストン・チャーチル首相は代わりにオクスフォードシャーのディッチレイを使っていたが、1943年までに通路を芝で覆うなどのチェッカーズの警備強化がなされた[15][16]。ネヴィル・チェンバレン首相時代のチェッカーズには電話はキッチンに一つしかなかったが、チャーチルは机にバッテリーを置いて、いつでも電話を使えるようにしていたという[17]。
21世紀

2007年6月1日、チェッカーズがSerious Organised Crime and Police Act 2005のセクション128による守られた場所とされ、侵入は特に犯罪とされた[18]。
2018年6月、テリーザ・メイ首相はチェッカーズで閣僚会議を開き、ブレグジットへ向けての計画・通称「チェッカーズ・プラン」が同意された[19]。
2020年4月12日から26日、新型コロナウイルス感染症に罹患したボリス・ジョンソン首相は、集中治療室を出た後、チェッカーズで療養して過ごした[20][21]。
