チェルヴェーテリ
コムーネ
From Wikipedia, the free encyclopedia
チェルヴェーテリ(伊: Cerveteri)は、イタリア共和国ラツィオ州ローマ県にある、人口約38,000人の基礎自治体(コムーネ)。
| チェルヴェーテリ Cerveteri | |
|---|---|
|
Piazza Risorgimento | |
| 行政 | |
| 国 |
|
| 州 |
|
| 県/大都市 |
|
| CAP(郵便番号) | 00052 |
| 市外局番 | 06 |
| ISTATコード | 058029 |
| 識別コード | C522 |
| 分離集落 | #分離集落参照 |
| 隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
| 公式サイト | リンク |
| 人口 | |
| 人口 | 37950 人 (2024-01-01 [1]) |
| 人口密度 | 282.3 人/km2 |
| 文化 | |
| 住民の呼称 | cerveterani (方言:cervetrani) |
| 守護聖人 |
大天使聖ミケーレ (San Michele Arcangelo) |
| 祝祭日 | 5月8日 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯42度00分 東経12度06分 |
| 標高 | 81 (0 - 482) [2] m |
| 面積 | 134.43 [3] km2 |
|
| |
古代にエトルリア人が築いた都市で、ローマ人からはカエレ(Caere)の名で呼ばれた。エトルリア人が遺した墓地遺跡(ネクロポリス)は、世界遺産「チェルヴェーテリとタルクイーニアのエトルリア墓地遺跡群」の構成資産として登録されている。
名称
地理
歴史

共和政ローマ時代
アウルス・ゲッリウスやストラボンによれば、紀元前390年頃のガリア人によるローマ劫掠の際、ウェスタの処女や女神ウェスタの炎などをカエレ人が守った見返りとして、投票権のない最初のムニキピウムとされたという[12]。
ティトゥス・リウィウスによれば、紀元前358年にカッシウス条約が復活したことをきっかけにローマとエトルリアは戦争状態となり、カエレはエトルリア側についたが、紀元前353年に100年の和平が成立した[13]。この前353年にカエレに投票権のない市民権が付与されローマに併合されたとする説もあるものの、根拠が薄いという指摘があり、後にカエレが自らローマに領土の半分を割譲してその支配下に入ったとするカッシウス・ディオの記述から、紀元前274年前後にローマの支配下に入ったとも考えられ、その場合、カエレは投票権のない市民権を付与された最初のムニキペスではないことになる[14]。
紀元前90年頃の同盟市戦争の結果、その後にローマの支配下に入った自治市に対しては四人官が派遣されたが、カエレは帝政期においても独自の独裁官が市の自治を担っていた[15]。
