チェーン・ホーム
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英国では1925年にイギリス防空隊(ADGB)が創設され、目視情報をADGB司令部で集約する、最初期の警戒網が築かれていた[2]。目視の限界から、英空軍省がワトソン・ワットに依頼し、電子的な反響を利用した探知装置、すなわちレーダーが開発された[3]。
これは空軍省実験所(英語: Air Ministry Experimental Station、AMES)の略称から、AMES Ⅰ型と指定された[4]。ただし目標までの方位角を探知できない欠点があり、また情報秘匿の観点からも「無線方向探知機」(英語: Radio Direction Finding、RDF)と通称された[5][4]。欠点は複数のレーダーによって三角測量を行うことで補完した[4]。
1940年7月までにAMES Ⅰ型によるチェーン・ホーム(CH)20局とこれを補完する低空用AMES Ⅱ型によるチェーン・ホーム・ロウ(CHL)30局が整備され、世界最高水準の防空体制が整い[6]、同年夏のバトル・オブ・ブリテンで多大な貢献を果たした。
チェーン・ホームと運用

点線:1939年9月・高度1万5000ft
実線:1940年9月・高度1万5000ft
網掛:1940年9月・高度500ft
AMES Ⅰ型は、ビーム幅が水平方向100度で、垂直方向仰角5度での感度が良好だったため、高空監視用として用いられた[1]。また送信用(高さ360ft)と受信用(高さ240ft)が異なるバイスタティック・レーダーだった[1]。しかし、1938年の演習において仰角2度以下の探知ができない欠点が明らかとなり[7]、英海軍省が用いた360度回転式レーダーを、低高度用のAMES Ⅱ型として採用し、Ⅰ型の欠点を補完した[6]。Ⅱ型もⅠ型同様のバイスタティック・レーダーであり、送受信用が同期して回転した[7]。
グレートブリテン島南部は海に面した開けた地形で、レーダー配備に適した地形だった[8]。
前述の通り英軍がレーダー配備を推進する中、ドイツ軍は1939年に巨大な装置であるチェーン・ホームを偵察したがレーダーの存在を突き止めるには至らなかった[9]。翌1940年6月にレーダー装置であることを認知すると、7月にはカレーに妨害装置を設置したが、出力が弱く十分な効果は与えられなかった[10]。
英国のチェーン・ホーム警戒網の優れていた点は、未だ初歩的な段階でしかないレーダー網自体より、そこから得られる情報を有効に活用した運用面だった[11]。CHL局は、探知情報を最寄りのCH局に電話で報告する[12]。さらにCH局が戦闘機軍団司令部フィルター室に報告し、重要度の判定及び敵味方識別を行った後[13]、同作戦室にこれをプロッターたちが巨大な地図上に航空部隊等を意味するマーカー(兵棋)を移動させて、現況を図示した[14][12]。
また、早期警戒用レーダーとして設置されたが、精度5マイルの要撃管制用としても用いることができた[15]。当時は航空機搭載用レーダーが未発達で、夜間・荒天時の地上からの要撃管制が重要な役割を持った[15]