チャーリー・ダニエルズ

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出生名 Charles Edward Daniels
別名 Charlie Daniels
チャーリー・ダニエルズ
Charlie Daniels
カリフォルニア州サンタ・イネスでのステージ
基本情報
出生名 Charles Edward Daniels
別名 Charlie Daniels
生誕 1936年10月28日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ノースカロライナ州リーランド
死没 (2020-07-06) 2020年7月6日(83歳没)
ジャンル カントリー・ミュージック
カントリーロック
サザンロック
職業 音楽家シンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギターフィドル
活動期間 1950年代 - 2020年
レーベル ブッダ・レコード
エピック・レコード
リバティ・レコード
共同作業者 マーシャル・タッカー・バンド
ザ・チャーリー・ダニエルズ・バンド
公式サイト CharlieDaniels.com

チャーリー・ダニエルズの名で活躍するチャールズ・エドワード・ダニエルズCharles Edward Daniels1936年10月28日 - 2020年7月6日)はアメリカミュージシャンシンガーソングライターギタリストフィドル奏者。

1950年代に活動をスタートし、長きにわたってカントリー・ミュージックサザン・ロックの分野で活躍。カントリー・チャートのNo.1に輝いた "The Devil Went Down to Georgia" をはじめとしたいくつかのヒット曲で広く知られている。また見栄えのある太鼓腹を持つ巨漢でもある。

1950年代から歌手・ギタリストとして活動を始める。1964年エルヴィス・プレスリーがレコーディングすることになる "It Hurts Me" をジョーイ・バイヤーズと共作する。プロデューサーであるボブ・ジョンストンの下、ナッシュビルでセッションミュージシャンとして活動し、1969年から1970年にかけてボブ・ディランレナード・コーエンのアルバムにも参加した。1971年に初のソロ・アルバム "Charlie Daniels" をリリース。

1973年の2ndアルバム "Honey in the Rock" からシングル・カットされた "Uneasy Rider"ビルボードHOT100の9位にまで上昇する初ヒットとなる。またこの時期にはマーシャル・タッカー・バンドのセミ・レギュラーとなり、彼らのアルバムの多くにフィドル奏者として参加した。

1974年には、現在まで続くダニエルズの代名詞ともいえるボランティア・ジャムen:Volunteer Jam)の第1回目を開催する。1980年代後半に3年間中断した以外、このイベントは毎年必ず開催された。

2009年4月29日、ケンタッキー州ルイビルのウォーターフロント・パークでのステージ

1975年には "The South's Gonna Do It Again" がトップ30ヒットになったほか、"Long Haired Country Boy" もマイナー・ヒットとなる。

ハンク・ウィリアムズ Jr. (en:Hank Williams, Jr.) の "Hank Williams, Jr. and Friends" にもフィドル奏者として参加。

1979年"The Devil Went Down to Georgia"グラミー賞の「ベスト・カントリー・ボーカル」部門を受賞。この曲は翌年、ジョン・トラボルタ主演の映画『アーバン・カウボーイ』に使用され、カントリー・ファン以外の聴衆にも広く知れ渡り、ジャンルを超えた成功を収めた。ダニエルズは彼自身の役でこの映画に出演もしている。

1980年ジェシー・ジェイムズを題材にしたカントリー・ミュージックによるコンセプトアルバム "The Legend of Jesse James" に参加。同年の "In America"(11位)、"The Legend of Wooley Swamp"(31位)や1982年の"Still in Saigon"(22位)はポップ・ヒットともなった。

1990年代に入っても数枚のアルバム、シングルをカントリー・チャートに送り込んでいるほか、ゴスペル宗教音楽のアルバムをリリース。

2000年ブラッド・ジョンソン主演の映画『アクロス・ザ・ライン』(en:Across the Line) の音楽を担当。2001年にはUPSテレビCMに出演した。

2005年10月にはBMIカントリー・アワードを受賞。2006年にはリトル・リチャードブーツィー・コリンズらとハンク・ウィリアムズ Jr. のバックバンドを編成し、「マンデーナイトフットボール」のオープニングに登場した。

2007年11月、マルティナ・マクブライドに誘われてグランド・オール・オプリのメンバーとなる[1]

現在も精力的に活動を続け、自身のステージのほか、他の歌手の作品の楽曲の提供や参加、テレビCMや映画音楽等幅広く活躍していたが、2020年7月6日に死去。

ディスコグラフィ

脚注

関連項目

外部リンク

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