チャールズ・L・グラント
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チャールズ・L・グラント(Charles L. Grant、1942年9月12日 - 2006年9月15日)は、アメリカ合衆国の小説家、短編作家、アンソロジー編集者。ホラー小説、ファンタジー、サイエンス・フィクションなどのジャンルで活動した。1970年代後半からは主にホラーとファンタジーを執筆し、自身の作品を「ダーク・ファンタジー」(dark fantasy)や「クワイエット・ホラー」(quiet horror)と称した。代表作に、架空の町オクスラン・ステーションを舞台とする一連の作品や、アンソロジー『Shadows』シリーズがある[1]。
チャールズ・L・グラント | |
|---|---|
| 原語表記 | Charles L. Grant |
| 生誕 |
1942年9月12日 ニュージャージー州 |
| 死没 |
2006年9月15日 ニュージャージー州ニュートン |
| 職業 | 小説家、短編作家、アンソロジー編集者 |
| 言語 | 英語 |
| ジャンル | ホラー、ファンタジー、サイエンス・フィクション |
| 代表作 |
『The Soft Whisper of the Dead』 『Shadows』シリーズ オクスラン・ステーション・シリーズ |
| 主な受賞歴 |
ネビュラ賞 ワールド・ファンタジー賞 英国幻想文学協会の賞 生涯功労賞 |
100冊以上の著書と200編以上の短編を執筆し、多数のアンソロジーを編集した。ネビュラ賞、ワールド・ファンタジー賞、英国幻想文学協会の賞などを受賞し、ホラー文学への功績により生涯功労賞も受賞した[2]。
生涯
生い立ち
1942年9月12日、ニュージャージー州に生まれた。父は米国聖公会の聖職者であり、グラント自身も当初は父の後を継ぐことを考えていた。コネチカット州ハートフォードのトリニティ・カレッジに進学し、専攻を英語と歴史に変更した。1964年に大学を卒業した後、ニュージャージー州に戻り、高校教師となった[2]。
1966年頃から本格的に小説を書き始め、地元の作家クラブに参加した。1968年4月には、『The Magazine of Fantasy and Science Fiction』に最初の作品を売却した[2]。
ベトナム戦争
最初の作品を売却した直後の1968年4月、グラントは徴兵され、アメリカ陸軍に入隊した。ベトナム戦争では陸軍憲兵隊に所属し、クイニョンで勤務した。約2年間の兵役を終えた後は教師に戻ったが、その後は執筆活動に専念するようになった。退役後には5冊の長編小説を執筆したものの、いずれも出版されなかった[2]。
人物
グラントは、かつて「C. L. Grant」の名義を使用していたが、1977年のSFファンジン『Knights』[注 1]で、その理由について「自分の名前が好きではない」ためイニシャルを用いていたと説明している[3]。しかし、この表記によって、ネブラスカに住む老婦人や1940年代にSFを書いていた別人と間違われたり、作家C・L・ムーアと混同されたりすることがあったほか、「C.L.とは何と呼べばいいのか」と尋ねられることもあったという[3]。こうした説明を繰り返すことに疲れたグラントは、最終的にフルネームの「Charles L. Grant」を使用するようになった[3]。
また、グラントは3日間まったく執筆せずに過ごすことができず、たとえ一文や二文だけでも書くと語っている。本人にとって執筆は「呼吸するような義務」である一方、「苦悩」でもあったという[4]。
グラントは古典的な怪物映画にも強い愛着を持っていた。1980年、ホラー作家の集会Neconの第1回大会で、グラントは当時の小説に登場する「牙のない」吸血鬼などの怪物について熱く語り、ブラム・ストーカーやハマー・フィルム・プロダクションの作品、クリストファー・リーやボリス・カーロフが演じた古典的な怪物を懐かしんだ[5]。この話を聞いたNecon創設者のボブ・ブースから、同姓だが血縁関係のない小出版社経営者ドナルド・M・グラントを紹介され、そこから古典的な怪物を題材とする小説の構想が生まれた[5]。その最初の作品が『The Soft Whisper of the Dead』で、その後もミイラ男や狼男を題材とする作品が続いた[5]。
作家活動
SF作家として
グラントは当初、サイエンス・フィクション作家として活動した。1968年12月号の『The Magazine of Fantasy and Science Fiction』に短編「The House of Evil」を発表した[1]。
1970年代半ばから長編作品にも進出し、ポストアポカリプスを題材とする「Parric Family」シリーズを発表した。シリーズは『The Shadow of Alpha』(1976年)、『Ascension』(1977年)、『Legion』(1979年)からなる[1]。
短編「A Crowd of Shadows」は1976年のネビュラ賞短編小説部門を受賞し、「A Glow of Candles, a Unicorn's Eye」は1978年のネビュラ賞ノヴェレット部門を受賞した[6][7]。
ホラーへの転向
1970年代後半から、グラントは活動の中心をホラーとファンタジーへ移した[1]。
グラントは自身の作品を「ダーク・ファンタジー」および「クワイエット・ホラー」と呼んだ[1]。彼の作品では、日常的な環境の中に超自然的な存在や出来事が侵入することで生じる不安や緊張が描かれた[1]。
オクスラン・ステーション
グラントの代表的な作品群の一つが、架空の町オクスラン・ステーション(Oxrun Station)を舞台とするホラー作品である。
シリーズは『The Hour of the Oxrun Dead』(1977年、『死者たちの刻』)、『The Sound of Midnight』(1978年、『真夜中の響き』)、『The Last Call of Mourning』(1979年、『黄泉の囁き』)、『The Grave』(1981年)、『The Bloodwind』(1982年)などへと展開した[1]。
オクスラン・ステーションはグラントの主要なホラー作品の舞台として繰り返し登場し、同シリーズは彼の「クワイエット・ホラー」を代表する作品群となった[1]。
編集者としての活動
グラントは作家としてだけでなく、ホラー・ファンタジー文学のアンソロジー編集者としても活動した。
代表的な仕事が『Shadows』シリーズである。第1巻は1978年に刊行され、その後1991年の『Final Shadows』までシリーズが続いた[1]。
『Shadows』は1979年のワールド・ファンタジー賞アンソロジー/コレクション部門を受賞した[8]。
1983年には『Nightmare Seasons』が同賞アンソロジー/コレクション部門を、「Confess the Seasons」がノヴェラ部門を受賞した[8]。
ワールド・ファンタジー・コンベンション
グラントはワールド・ファンタジー・コンベンションでも活動した。1979年の第5回大会ではトーストマスターを務めた。同大会ではスティーヴン・キングとフランク・ベルナップ・ロングがゲスト・オブ・オナーを務め、グラントが編集した『Shadows』も同年のワールド・ファンタジー賞を受賞した[9]。
1982年のワールド・ファンタジー・コンベンションでもグラントはトーストマスターを務めた[10]。
別名義
日本での紹介
グラントの作品は日本でも1970年代から翻訳・紹介されている。
1978年10月、『S-Fマガジン』第239号に、グラントの「A Crowd of Shadows」が「影の群れ」の題で掲載された[8]。
1986年には『幻想文学』第14号「特集◎モダンホラー」に「ミューズの女神は」が掲載された。同作は同号で「本邦初訳」として紹介された[9]。
1987年には早川書房から『ティー・パーティ』が、1989年には『ペットの夜』が、それぞれハヤカワ文庫NVとして刊行された[11]。
1989年には東京創元社から、オクスラン・ステーション・シリーズの3作品が相次いで刊行された。『死者たちの刻』『真夜中の響き』『黄泉の囁き』の3冊で、いずれも創元ノヴェルズから刊行された。[11]
このほか、グラントの短編は日本の海外ホラー・アンソロジーにも収録された[12]。
日本語訳作品
- 『ティー・パーティ』The Tea Party(1985年) - 竹生淑子訳、早川書房〈ハヤカワ文庫NV〉、1987年[11]。
- 『死者たちの刻』The Hour of the Oxrun Dead(1977年) - 山田順子訳、東京創元社〈創元ノヴェルズ〉、1989年[12]。
- 『真夜中の響き』The Sound of Midnight(1978年) - 宇井千史訳、東京創元社〈創元ノヴェルズ〉、1989年[11]。
- 『黄泉の囁き』The Last Call of Mourning(1979年) - 宇井千史訳、東京創元社〈創元ノヴェルズ〉、1989年[11]。
- 『ペットの夜』The Pet(1986年) - 竹生淑子訳、早川書房〈ハヤカワ文庫NV〉、1989年[11]。
- 『X-ファイル 闇に潜むもの』The X-Files: Goblins(1994年) - 日本語訳[11]。
- 『X-ファイル 旋風』The X-Files: Whirlwind(1995年) - 日本語訳[11]。
- 『ブラック・オーク』Black Oak: The Hush of Dark Wings(1999年) - 池田真紀子訳、祥伝社〈祥伝社文庫〉、2001年。[11]
評価・受賞歴
グラントは1970年代以降、SF、ホラー、ファンタジーの分野で評価された。
ネビュラ賞では「A Crowd of Shadows」で短編小説部門を、「A Glow of Candles, a Unicorn's Eye」でノヴェレット部門を受賞した[6]。
ワールド・ファンタジー賞では、1979年に『Shadows』、1983年に『Confess the Seasons』と『Nightmare Seasons』で受賞した[8]。
1987年には英国幻想文学協会のSpecial Awardを受賞した[13]。
1999年にはブラム・ストーカー賞の生涯功労賞を受賞した[14]。
2002年にはWorld Horror ConventionのGrand Masterに選ばれた[2]。
Horror Writers Associationはグラントを、戦後世代の「最も多くの栄誉を受け、影響力のある」ファンタジー・ホラー作家の一人と位置づけている[2]。
主な作品
長編小説
- The Shadow of Alpha(1976年)
- Ascension(1977年)
- The Hour of the Oxrun Dead(1977年)
- The Sound of Midnight(1978年)
- Legion(1979年)
- The Last Call of Mourning(1979年)
- The Grave(1981年)
- The Bloodwind(1982年)
- The Soft Whisper of the Dead(1982年)
- The Nestling(1982年)
- The Long Night of the Grave(1986年)
- The Orchard(1986年)
- The Pet(1986年)
- For Fear of the Night(1988年)
- In a Dark Dream(1989年)
- Stunts(1990年)
- Something Stirs(1991年)
- Raven(1993年)
- Jackals(1994年)
- Symphony(1997年)
- In the Mood(1998年)
- Chariot(1998年)
- Genesis(1998年)
- The Hush of Dark Wings(1999年)
- Winter Knight(1999年)
- Riders in the Sky(1999年)
- Hunting Ground(2000年)
- When the Cold Wind Blows(2001年)
アンソロジー
- Shadows(1978年)
- Shadows 2(1979年)
- Shadows 3(1980年)
- Shadows 4(1981年)
- Shadows 5(1982年)
- Shadows 6(1983年)
- Shadows 7(1984年)
- Shadows 8(1985年)
- Shadows 9(1986年)
- Shadows 10(1987年)
- Final Shadows(1991年)
『Shadows』シリーズは1978年から1991年にかけて刊行された[1]。
『X-ファイル』関連作品
グラントは1990年代にX-ファイル関連の小説も執筆し、『Goblins』(1994年)、『Whirlwind』(1995年)などを発表した[15]。
その他の活動
死去
2006年9月15日、ニュージャージー州ニュートンの自宅で心臓発作により死去した。64歳だった[2]。