ロードアイランド州のニューポートで生まれた。父親は退役軍人でその後西部に入植したがチャールズ・キングが4歳の時、オハイオ州マリエッタ近郊でアメリカ先住民に襲撃されて殺され、母親とチャールズはニューポートの母親の家に戻った[1]。
15歳の時にニューヨークに移り肖像画家のエドワード・サベージ(Edward Savage: 1761-1817)に絵画を学んだ、20歳の時にロンドンに移りロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでベンジャミン・ウエスト(1738-1820)のもとで7年間学び、1812年に米英戦争が起こったためにアメリカに帰国した。
ペンシルベニア州フィラデルフィアやメリーランド州ボルチモア、バージニア州リッチモンドなどで活動した後、経済的成長を始めたワシントンD.C.で働き、ジョン・クインシー・アダムズやヘンリー・クレイ、ジェームズ・モンロー、ジョン・C・カルフーン、ダニエル・ウェブスターなどの有力な人物から、支援されるようになった[2]。肖像画や静物画を描き、十分な収入を得るようになり、スタジオとギャラリーを持つことができた [3]。.
連邦政府のインディアン事務局の局長を務めることになるトーマス・マッケニー(Thomas L. McKenney: 1785-1859)の発案で、絶滅が予想されるインディアンの文化を保存するために様々な部族の遺物を収集し、キングに依頼して様々な部族の先住民の肖像画を描くことを依頼した。キングは20年間にわたって、ワシントンのアトリエでアメリカの先住民の肖像画を描いた。マッケニーはアメリカの先住民に関する3巻本の著作『History of the Indian Tribes of North America』を1836年から1844年にかけて出版し、キングの描いた肖像画は版画にされて挿絵となった[4]。
1862年にワシントンD.C.で亡くなった。独身のまま亡くなり、キングの絵画、書籍、版画のコレクションは故郷ニューポートのレッドウッド図書館(Redwood Library and Athenaeum)に遺贈された。