トゥーリーレイク強制収容所
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トゥーリーレイク強制収容所(とぅーりーれいくきょうせいしゅうようじょ〈英語: Tule Lake Relocation Center〉[注 1]、トゥーリーレイク移住センターまたはトゥーリーレイク転住所、トゥーリーレイク戦争移住センター、現トゥーリーレイク・ナショナル・モニュメント〈Tule Lake National Monument〉)は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国カリフォルニア州北部トゥーリー湖)近郊にあった、戦時転住局運営の日系アメリカ人と日本人移民を対象とした強制収容所のひとつである[4]。
トゥーリーレイク強制収容所(トゥーリーレイク・ナショナル・モニュメント) Tule Lake Relocation Center (Tule Lake National Monument) | |
| 所在地 | CA 139, ニューウェル |
|---|---|
| 座標 | 北緯41度53分20秒 西経121度22分30秒 |
| ウェブサイト | トゥーリーレイク・ナショナル・モニュメント |
| NRHP登録番号 | 06000210[1] |
| 指定・解除日 | |
| NRHP指定日 | 2006年2月17日 |
| NHL指定日 | 2006年2月17日[2] |
| NMON指定日 | 2008年12月5日/2019年3月12日[3] |

2008年12月5日に、第二次世界大戦武勲記念ナショナル・モニュメントを構成するユニットの一つとしてナショナル・モニュメントの指定を受け、2019年3月12日には、同ナショナル・モニュメントから分離され、独立したトゥーリーレイク・ナショナル・モニュメントとして指定された[3]。モニュメントにはトゥーリーレイク隔離センター(Tule Lake Segregation Center)とトゥーリーレイク収容所(Camp Tulelake、キャンプ・トゥーリーレイク)、そして敷地内に位置するキャッスル・ロックという名前で知られる岩の構造が含まれる[3]。
概要
アメリカ合衆国への忠誠や、アメリカ軍人として戦うことを拒むなど、特に「反米的」であるとされた日系アメリカ人たちが強制的に収容された。 1944年11月4日には、戦時転住局職員と収容に不平を持つ日系二世が衝突して軍隊が導入される出来事も起きた。1945年7月13日、戦時転住局は同年12月15日までに各収容所を閉鎖すると発表したが、トゥーリーレイクは対象外とされた[5]。 翌月、日本が降伏して第二次世界大戦が終わると、各地の日系人収容所は閉鎖され、日系アメリカ人は(何の保障も謝罪もないまま)「解放」されたが、トゥーリーレイクの収容者たちは1946年になるまで「解放」されなかった[6]。
日系人の間では「鶴嶺湖」の表記が当てられる事もあった。
著名な被拘禁者
関連項目
- 日系アメリカ人収容所所在地
- 日系アメリカ人の強制収容
- 伝承 (日系アメリカ人)
- Marvin Opler 収容所で働いていた人類学者
- The Cats of Mirikitani 元被収容者、芸術家 Tsutomu "Jimmy" Mirikitani を対象とするドキュメンタリー映画