ティアレット
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ティアレット تاهرت | |
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市 | |
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| 北緯35度22分 東経1度19分 / 北緯35.367度 東経1.317度座標: 北緯35度22分 東経1度19分 / 北緯35.367度 東経1.317度 | |
| 国 |
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| 県 | ティアレット県 |
| 地区 | ティアレット地区 |
| 面積 | |
| • 合計 | 111.45 km2 |
| 標高 | 978 m |
| 人口 (2008年) | |
| • 合計 | 178,915人 |
| • 密度 | 1,600人/km2 |
| 等時帯 | UTC+1 (中央ヨーロッパ時間) |
| 郵便番号 |
14000 |
ティアレット(ベルベル語:ⵜⴰⵀⴻⵔⵜ/アラビア語:تاهرت )はアルジェリア北西部のティアレット県の県都。 首都アルジェの南西に位置し、テル・アトラス山脈の台地に位置し、地中海から約150km離れている。 アブドアフィッド・ブスフ・プー・シュキフ空港が有る。 2008年の人口は約17.9万人。 面積は2万86km2である。 全住民がムスリムである。
テロ
ティアレットの山岳地系はテロ活動を容易にした。 AQIM( イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構)の前身のGSPC(説教と戦闘の為のサラフィー主義者集団)は何度もティアレットを攻撃した。 GSPCはウサーマ・ビン・ラーディン(1957年~2011年)やアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィー(1966年~2006年)と深い関係が有った。 GSPCは現在もイタリアで活動している。
歴史
ティアレットには古代から人が住んでおり、巨石文化が栄えた。
ローマ帝国は現在ティアレットが有る場所に「ティンガルティア」要塞を建設した。
古代末期には、ティアレット近郊のジェダルスに石の家が造られた。
761年、ティアレットはベルベル人のルスタム朝の首都になった。 但しこの首都は現在のティアレットから約10km西に有った。 大イランのイバード派のアブドゥル・ラフマン・ルスタムが建国者である。 ティアレットは自由な考えと民主主義を持ち、特にムゥタズィラ学派の学問の中心となった。
10世紀までは少なくともユダヤ人が住んでいた。 フェズのアミールの医者になったユダ・イブン・クライシュが有名である。
ティアレットは標高3552mの峠を支配し、中央マグリブ支配の要所となった。
911年、ファーティマ朝と組んだミクナサ人がティアレットを獲得した。
933年、ファーティマ朝がティアレットを獲得したが、すぐにトレムセン王国に支配権が移った。 これ以降ティアレットの重要性は低下し、人口の殆どはワルグラやムザブに移住した。 [1] 入れ替わりにイラクのハワーリジュ派のムスリムが移住して来た。
1843年、フランスがアブド・アルカーディルを破りティアレットを獲得した。
1845年、フランスが自治体を設置した。 多くのフランス人が入植し、町は栄えた。
1889年、狭軌鉄道が開通しモスタガネムと結ばれた。 この鉄道は現在では機能していない。
1991年からのアルジェリア内戦の中で、ティアレットで虐殺が起きた。
1997年、シド・エル・アントリ虐殺が起きた。 [2]