ティボー3世 (ブロワ伯)

From Wikipedia, the free encyclopedia

在位 1037年 - 1089年
出生 1012年
死去 1089年
配偶者 ガルサンド・ドゥ・メーヌ
ティボー3世
Thibaud III
ブロワ伯
在位 1037年 - 1089年

出生 1012年
死去 1089年
配偶者 ガルサンド・ドゥ・メーヌ
  アデル・ド・ヴァロワ
子女 エティエンヌ2世
フィリップ
ウード5世
ユーグ
アヴォワーズ
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ウード2世
母親 エルマンガルド・ドーヴェルニュ
テンプレートを表示

ティボー3世フランス語:Thibaud III, 1012年 - 1089年)は、ブロワ伯(在位:1037年 - 1089年)、モー伯およびトロワ伯(在位:1066年 - 1089年)。1044年アンジュー伯ジョフロワ・マルテルに捕らえられ、自身の解放の引き換えにトゥレーヌ伯領をジョフロワ2世に譲った。また、シャンパーニュ伯領内での権力を増強させるため甥トロワ伯ウード3世のノルマン・コンクエストへの関与を利用した。

ティボー3世はブロワ伯ウード2世とエルマンガルド・ドーヴェルニュの間に生まれた[1][2]1037年に父ウード2世が死去し、ティボーはブロワ[1]トゥールシャルトルシャトーダンサンセールシャンパーニュシャトー=ティエリプロヴァンおよびサン=フロランタンを継承した。一方、弟エティエンヌ2世はモー、トロワおよびヴィトリ=ル=フランソワを継承した。1044年までに、アンジュー伯ジョフロワ・マルテルがトゥールを攻撃し、ティボーはトゥールを解放しようとした[3]。祖両者はヌイで衝突し、ティボーは捕らえられ、解放と引き換えにトゥレーヌ伯領を手放すこととなった[3]。これ以降、ブロワ家の拠点はシャンパーニュに移った。

1054年、ティボーはイヴォアでフランス王アンリ1世と会見を行った神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世に臣従の礼を取った[4]。ティボーは再び皇帝に近づくことができ、権力が増大し自身を宮中伯と呼ぶようになった[1]

ティボーの甥トロワ伯ウード2世は、ウィリアム1世の軍に入り、イングランドノルマン・コンクエストに参加した。ティボーはウードの留守を利用し、シャンパーニュにおける自身の権力の増強をはかった[1]。ティボーはヴァロワ伯ラウール4世の娘と結婚したことで、さらに強大な権力を得た。1074年以降、ティボーは息子エティエンヌ2世にブロワ、シャトーダンおよびシャルトルの管理を委ねた。

ティボーは1089年に死去し、フランス王フィリップ1世はブロワとシャンパーニュを分割してティボーの息子たちに継承させた[1]

結婚と子女

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI