テオドロ・オビアン・ンゲマ
赤道ギニアの第2代大統領
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テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ(スペイン語: Teodoro Obiang Nguema Mbasogo, 1942年6月5日 - )は、赤道ギニアの政治家。現在、同国大統領(第2代)。赤道ギニア民主党の指導者。名前のカタカナ表記は、ンゲマはヌゲマ[1]、ムバソゴはンバソゴとも表記する。アフリカ連合総会議長(第9代)などを歴任した。
- イグナシオ・ミラム・タン
テオドロ・ンゲマ・オビアン
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マヌエラ・ロカ・ボテイ
マニュエル・オサ・ンスエ・ンスア
| テオドロ・オビアン・ンゲマ Teodoro Obiang Nguema | |
| 任期 | 1982年10月12日 – 現職 |
|---|---|
| 第一副大統領 | 一覧参照
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| 首相 | 一覧参照
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| 任期 | 1979年8月25日 – 1982年10月12日 |
| 第一副議長 | フロレンシオ・マイェ・エラ |
| 任期 | 1979年8月3日 – 1979年8月25日 |
| 第一副議長 | フロレンシオ・マイェ・エラ |
| 任期 | 2011年1月31日 – 2012年1月29日 |
| AU委員会委員長 | ジャン・ピン |
| 出生 | 1942年6月5日(83歳) |
| 政党 | |
| 受賞 | |
| 出身校 | 総合陸軍士官学校 スペイン国立通信教育大学 エンリケ・ンヴォ・オケンヴェ国立大学 |
| 配偶者 | コンスタンシア・マンゲ エレマ マリア・ベルミニア・ブカナン・ガルシア ショー |
| 子女 | テオドロ・ンゲマ・オビアン ガブリエル・ムベガ・オビアン ルスラン・オビアン・ンスエ |
| 親族 | フランシスコ・マシアス・ンゲマ(叔父) |
| 宗教 | キリスト教カトリック |
経歴

スペインの士官学校で学び、母国で大佐になった。1979年8月、叔父であるフランシスコ・マシアス・ンゲマの独裁政権をクーデターで倒し、軍事政権を打ち立て、自らその議長として国家元首(革命軍事評議会議長、のちに最高軍事評議会議長)に就任した(1982年10月には大統領就任)。政権奪取後は事実上の独裁体制をしき、1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択させたが、クーデター未遂がたびたび発生した。
1987年に自らの一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。民主化を要求するスペイン、フランス、アメリカ合衆国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発して1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマが得票率99%で4選、2002年12月で5選、2009年11月は得票率95.37%で6選した[4]。2011年1月にはアフリカ連合総会議長に就任、1年間の任期を務めた。
2016年の大統領選挙は11月に行われる予定であったが、何の説明もないまま4月24日に投票が繰り上げられた。暫定結果では得票率93.7%で、事前の予測どおりの圧勝であった[4][5]。2016年時点でアフリカ最長の政権となっており[4]、君主を除けば世界最長の政権を率いる人物である。
2021年2月15日、中国のシノファームCOVID-19ワクチン(BBIBP-CorV)を接種し、「中国は赤道ギニアにとって最高の友人であるだけでなく、アフリカにとって最高の友人だ」と述べた[6]。
2022年9月19日、赤道ギニアの国営テレビは、ンゲマ大統領が死刑制度を「完全に廃止する」法案に署名したと報じた。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、赤道ギニアで最後に死刑が執行されたのは2014年。国際連合や非政府組織(NGO)などはンゲマ政権下で強制失踪、恣意的な拘束、拷問が行われていると批判している[7]。同年11月20日の大統領選挙で得票率95%で8選し[8][1]、世界最長の現役首脳となった[1]。