テオドロ・デュクレール
From Wikipedia, the free encyclopedia
ナポリで生まれた。父親は1788年頃にフランス、セーヌ=エ=マルヌ県で生まれた人物である。父親はナポレオン戦争でフランス軍とイタリアに入って来て、ローマでイタリア女性と知り合い、結婚してナポリに住み、税関の職員として働き安定した暮らしをした[1] 。
テオドロ・デュクレールは早くから美術に興味を持ち、オランダ生まれの画家ピトルー (Antonie Sminck Pitloo) の私塾で学び、入学年齢に達すると、ピトルーが教授を務めていたナポリ美術アカデミーに入学した。1829年からアカデミーの絵画コンクールに参加し、この頃サルヴァトーレ・フェルゴーラ(1796-1874)やジャチント・ジガンデ(Giacinto Gigante: 1806–1876)といった「ポジリポ派」の画家たちから影響を受けた[2] 。
アカデミーを卒業した後、南イタリアを旅し、シチリアやプッリャ州、カンパニア州を訪れた後、ナポリに戻り、1838年に師匠のピトルーの娘と結婚した。
ナポリで美術家として成功した。1849年3月に革命派の政治家パオロ・エミリオ・インブリアーニ(Paolo Emilio Imbriani)に依頼されて、美術アカデミーの改革委員会の委員に選ばれた。南イタリアが、1861年にイタリアに統一された後、いくつかの公的な仕事に参加した[1]。
1869年にナポリで亡くなった。