テオドール・ガイガー
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ミュンヘンに生まれ、父親の転勤に伴いランツフートに移り、少年時代と学校時代をそこで過ごす。故郷に戻ってミュンヘン大学で哲学を専攻したのち、ヴュルツブルク大学で法学と国家学を学んだ。1919年の論文「保護観察論(Die Schutzaufsicht)」で法学の博士を取得。
第一次世界大戦で志願兵として出征し、ロシアで負傷して軍人傷痍記章を受けるが、ナチス体制確立後は弾圧によりドイツを去り、デンマーク、次いでスウェーデンに移り、そこで第二次世界大戦の終戦を迎えた。
終戦後は、デンマークのオーフス大学に復帰。ウプサラ学派のヘーガーシュトレームやオリヴェクローナ、アルフ・ロスと交流し、それまでのドイツ的・現象学的社会学から、実証的・経験科学的社会学への傾向を深めた[1]。川島武宜は彼の法社会学の影響で、規範を事実に解消する理論的試みを志向した[2]。
ウプサラ学派とは基本的に路線を同じくしたが次第に離れて行き、1947年の論文「法社会学への準備研究」の第三章「法と道徳」においてヘーガーシュトレームとロスの批判を、「法と力」においてオリヴェクローナに対する反論を行っている。他方、オリヴェクローナもガイガーの分析方法に疑義を呈している[3]。