テオドール・フルルノワ
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1854年8月15日、スイスのジュネーヴの裕福な家庭に出生した。父アレクサンドル・フルルノワ (Alexander Flournoy) は株式仲買人であった。母カロリーヌ (Caroline) は代々牧師や裁判官、教師を輩出した家庭の生まれであった[1]。テオドール・フルルノワはストラスブール大学医学部、ジュネーヴ大学に通った。数学、自然科学、文学、工学で学士号を取得した[1]。哲学、神学、医学にも関心を持っていた[1]。医師になることはできたものの、開業しなかった。短期間ドイツに赴き哲学の研究、特にイマヌエル・カントに興味を持った。ドイツ留学中、ヴィルヘルム・ヴントの講義に通った[1]。また、ウィリアム・ジェームズとアルフレッド・ビネと交流した。旅行から帰宅したのち、マリー・ブルニエ (Marie Burnier) と出会い、結婚した。心理学の研究に身を捧げることを決心したのは後年のことであった。
研究
フルルノワは、霊媒はその潜在意識から来る暗示とテレパシーによって説明でき、心霊説を裏付ける証拠はないと主張した[2]。
フルルノワは心霊現象についての研究で最もよく知られている。霊媒、幻影、透視、心霊療法、ポルターガイスト、予知、テレパシーについて考究した[3]。フルルノワは、当時では異様に見える調査をして他の心理学者から批判を受けるだろうと調査当初から理解していた。しかし、調査を始めたところ、この題材への関心は他の国へ広まったようであった。フルルノワの研究はエレーヌ・スミスと名付けた30歳の女性を対象とした調査に基づくものであった[4]。スミスは普通の仕事をしていた心身ともに健全な女性であった[4]。心霊活動のコミュニティにおいて有名で、フルルノワが調査を始める3年前から霊能力を使用してきた[4]。トランス状態を経て超自然的情報を伝えることで霊媒をしていた。スミスと交流したフルルノワは5年の間、スミスがトランス状態中に発したことを書き留めた。 フルルノワの観察結果から、かの著名な書籍『インドから火星へ』が完成した[4]。
業績
影響
フルルノワはフロイトと同時代の人物であった。フルルノワの仕事はカール・グスタフ・ユングに影響を与えた。1902年、ユングは霊能者であったいとこのエレーヌ・プライスヴェルク (Hélène Preiswerk) の研究を行い博士論文を執筆した[5]。ユングはフルルノワの依頼で書かれたフランク・ミラーの自己暗示的著作を著書『リビドーの変容と象徴[6]』で引用した[7]。この著書の第2部においてユングは、1908年の論文で述べられた生命を維持するための無意識の合目的的な要素というフルルノワの概念に着想を得ている。フルルノワはその論文で「自殺を考える人間が、死の直前に生命の意味と価値を説く幻覚を見た」事例について述べた[8]。
フルルノワはウィリアム・ジェームズに影響を受けた。フルルノワは、ジェームズが Radical Empiricism において sciousness と呼んだ、非二元的な意識の根源的な実在性を受入れた数少ない学者の一人であった[9]。