テダルド・ディ・カノッサ

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出生 10世紀
死去 1012年7月以前
テダルド・ディ・カノッサ
Tedaldo di Canossa
マントヴァ伯
在位 988年2月13日 - 1007年

出生 10世紀
死去 1012年7月以前
埋葬 カノッサ[1]
配偶者 ウィラ
子女 マリア
ボニファーチオ
テダルド
コンラッド
家名 カノッサ家
父親 アダルベルト・アットー・ディ・カノッサ
母親 イルデガルダ
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テダルド・ディ・カノッサ(Tedaldo di Canossa, 10世紀 - 1012年7月以前)は、カノッサ家出身のイタリア貴族。ブレシア伯(在位:980年 - 1007年)[1]モデナ、フェラーラおよびレッジョ伯(在位:981年 - 1007年)、マントヴァ伯(在位:988年 - 1007年)[2]

テダルドは、アダルベルト・アットー・ディ・カノッサ(アットーネと呼ばれた[1])の息子である。父アダルベルト・アットーはベレンガーリオ2世と対立していたオットー1世を支援した。テダルドの台頭は、オットー朝への忠誠心によるところが大きかった。父から辺境伯位を継承した[1]。一族の居城はカノッサ城であった。

フェラーラ伯となった後(986年以降)、テダルドは要塞の建設に着手した。これはビザンツ帝国カストラに次ぐ、町で2番目の要塞であり、テダルド城と呼ばれた[3]。テダルドは1002年、イタリア王位を主張したイヴレーア辺境伯アルドゥイーノに対抗した。1004年にはハインリヒ2世のイタリア遠征に同行し[1]、5月15日にパヴィアで行われた戴冠式にも出席した。1007年にはポリローネにサン・ベネデット修道院を創建した[1]

テダルドは1012年7月までに亡くなり、カノッサで父の隣に埋葬されることを希望した。

結婚と子女

脚注

参考文献

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