テルスター (曲)
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 「テルスター」 | ||||
|---|---|---|---|---|
| ザ・トルネイドース の シングル | ||||
| 初出アルバム『The Original Telstar - The Sounds of The Tornadoes』 | ||||
| B面 | Jungle Fever | |||
| リリース | ||||
| 録音 |
| |||
| ジャンル | スペース・エイジ・ポップ[1] | |||
| 時間 | ||||
| レーベル | ||||
| 作曲 | ジョー・ミーク[2] | |||
| プロデュース | ジョー・ミーク[2] | |||
| チャート最高順位 | ||||
| 後述を参照 | ||||
| ザ・トルネイドース シングル 年表 | ||||
| ||||
「テルスター」(Telstar)は、1962年にイングランドのバンド、ザ・トルネイドースが発表したインストゥルメンタル曲で、ジョー・ミークが作曲とプロデュースをした[2]。この曲は全英シングルチャートで首位に立ち、1962年12月にはBillboard Hot 100でも首位に達したが、これはイギリスで録音された楽曲としては、同年5月の「白い渚のブルース」に次ぐこの年の2例目であった。この曲はまた、1962年にアメリカ合衆国とイギリスの両方の週間チャートで首位に立った、2曲目のインストゥルメンタル曲のシングルであった[注釈 1]。
1962年のうちに、ミークは「Magic Star」と題した歌詞つきのバージョンもプロデュースして、ケニー・ハリウッドに歌わせた。この曲はデッカ・レコードからリリースされ (cat. nr F11546)、B面にはジェフ・ゴダードが書いた「The Wonderful Story of Love」が収められた。この2曲とも、音楽監督はアイヴァー・レイモンドが務めた[3]。
「テルスター」は、1962年7月10日に打ち上げられた通信衛星であるテルスター衛星に因んで名付けられた。ジョー・ミークが作曲し、プロデュースしたこの曲は、特徴的な電子音を出す鍵盤楽器であるクラヴィオリン、ないしは、それに似た Jennings Univox を用いている。この曲は、ノース・ロンドンのハロウェイ・ロードの店舗の2階にあった小さなアパートに設けられていたミークのスタジオで録音された。しかしトルネイドースがバックバンドを務めていたビリー・フューリーのライブスケジュールの合間をにねじ込んだレコーディング日程だったためキーボードのロジャー・ラヴァーンがリードのクラヴィリオンを録音する時間が無く、この曲を象徴するメロディーは後日ジェフ・ゴダードによって録音された(ラヴァーンの演奏はバッキングのピアノで聞くことが出来る)[4]。「テルスター」は、アイヴァー・ノヴェロ賞を受賞し、世界中で500万枚以上のレコードが売れたものと推定されている[4]。
2007年、アッシュのティム・ウィーラーは、「テルスター」について、SFの影響を受けた最も初期のポップ・トラッドのひとつであり、「当時としては、とても未来的で、いま聴いても非常に奇妙に響く」と書き記した。彼の見るところでは、ミューズの2006年のシングル「ナイツ・オブ・サイドニア」にも「テルスター」の影響が及んでいるといい、ミューズのフロントマンであるマシュー・ベラミーがザ・トルネイドースのギタリストであったジョージ・ベラミーの息子であることを指摘している[5]。
訴訟
フランスの作曲家ジャン・レドルは、彼が1960年の映画『ナポレオン/アウステルリッツの戦い』のために書いたスコアの一部をなす曲「La Marche d'Austerlitz」をコピーしたものだとして、ミークを盗作で訴えた。この訴訟のため、ミークは存命中にはレコード売り上げからのロイヤルティーを受け取れず、彼に有利な形の裁定が下ったのは、1967年にミークが自殺した3週間後のことだった。『ナポレオン/アウステルリッツの戦い』がイギリスで公開されたのは1965年になってからであり、1963年3月に訴えられた時点で、ミークはこの映画の存在を知らなかった[6][7]。
商業的成功
この曲は、発表後すぐにヒットし、全英シングルチャートに25週とどまり、そのうち5週間にわたって首位に立った上[8]、アメリカ合衆国のチャートにも16週間とどまった。「テルスター」は、イギリスのポップ・グループがアメリカ合衆国のチャートで首位に立った最初の例であった。それまで第二次世界大戦後に、イギリス人の名がアメリカ合衆国のチャートの首位に達した例は、1952年のヴェラ・リンの「アウフ・ヴィーダーゼン・スウィートハート」、次に1958年のローリー・ロンドンの「世界はわがもの」、そして1962年5月のクラリネット奏者アッカー・ビルクの「白い渚のブルース」の3例しかなかった。
シングル収録曲
| # | タイトル | 作曲 | 時間 |
|---|---|---|---|
| A. | 「Telstar」 | ジョー・ミーク | |
| B. | 「Jungle Fever」 | ジェフ・ゴダード | |
合計時間: | |||
クレジット/パーソネル
チャート
| チャート (1962年 - 1963年) | 最高位 |
|---|---|
| オーストラリア (Billboard)[9] | 2 |
| ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[10] | 1 |
| ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[11] | 2 |
| カナダ (CHUM chart)[12] | 1 |
| フランス (Billboard)[13] | 1 |
| アイルランド (IRMA)[14] | 1 |
| オランダ (Single Top 100)[15] | 3 |
| ニュージーランド (Lever Hit Parade)[16] | 1 |
| ノルウェー (VG-lista)[17] | 3 |
| 南アフリカ (Billboard)[18] | 1 |
| UK シングルス (OCC)[19] | 1 |
| US Billboard Hot 100[20] | 1 |
| US Black Singles (Billboard)[21] | 5 |
| 西ドイツ (Official German Charts)[22] | 6 |
その他
- イギリスの首相であったマーガレット・サッチャーは、お気に入りのポップ曲のひとつとして「テルスター」を挙げていた[23][24]。