テレーゼ・ツー・メクレンブルク

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死去 (1839-02-12) 1839年2月12日(65歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、トゥルン・ウント・タクシス侯領 ディッシンゲンドイツ語版、タクシス城
埋葬 ザンクト・エメラム修道院
配偶者 トゥルン・ウント・タクシス侯カール・アレクサンダードイツ語版英語版
テレーゼ・ツー・メクレンブルク
Therese zu Mecklenburg
トゥルン・ウント・タクシス侯爵夫人テレーゼ、フランソワ・ジェラール画、1810年

出生 (1773-04-05) 1773年4月5日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国ハノーファー選帝侯領 ハノーファー
死去 (1839-02-12) 1839年2月12日(65歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、トゥルン・ウント・タクシス侯領 ディッシンゲンドイツ語版、タクシス城
埋葬 ザンクト・エメラム修道院
配偶者 トゥルン・ウント・タクシス侯カール・アレクサンダードイツ語版英語版
子女 一覧参照
家名 メクレンブルク=シュトレーリッツ家
父親 メクレンブルク=シュトレーリッツ大公カール2世
母親 フリーデリケ・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット
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テレーゼの私生児アマーリエ・フォン・レルヒェンフェルト(1808年 - 1888年)。美貌に恵まれ、多くの男性と浮名を流した。

テレーゼ・マティルデ・アマーリエ・ツー・メクレンブルク(Therese Mathilde Amalie Herzogin zu Mecklenburg [-Strelitz], 1773年4月5日 - 1839年2月12日)は、ドイツのメクレンブルク=シュトレーリッツ公爵家の公女で、カール・アレクサンダー・フォン・トゥルン・ウント・タクシスドイツ語版英語版の妻。プロイセン王妃ルイーゼの次姉である。

メクレンブルク=シュトレーリッツ公(のち大公)カール2世とその最初の妻でヘッセン=ダルムシュタット侯子ゲオルク・ヴィルヘルムの娘であるフリーデリケの間の第4子、三女として生まれた。すぐ上の姉カロリーネが夭折したため、実質的に四人姉妹の次女であった。幼くして実母と死別し、実母の妹であった継母シャルロッテも早世したため、ダルムシュタットに住む母方の祖母ルイーゼに養育された。

1789年5月25日にノイシュトレーリッツにおいて、神聖ローマ帝国の帝国郵便総裁(Generalpostmeister)を世襲で務めるトゥルン・ウント・タクシス侯カール・アンゼルムの跡取り息子カール・アレクサンダーと結婚した。夫妻は1797年まではフランクフルト・アム・マインに居を構えていたが、この頃からすでにテレーゼは夫を凌ぐ政治的手腕を見せていた。1797年に義父が実質的に帝国郵便総裁とレーゲンスブルクでの帝国議会(Reichstag)での役職を引退して夫に役職を譲ると、テレーゼも夫を支えてトゥルン・ウント・タクシス家の資産や郵便事業の経営を支えるようになった。またテレーゼは芸術や文学にも関心を寄せ、そのサロンにはジャン・パウルフリードリヒ・リュッケルトヨハン・カスパー・ラヴァーターフリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトックらの文人が出入りしていた。

1839年にディッシンゲンのタクシス城で亡くなり、ザンクト・エメラム修道院(Kloster Sankt Emmeram)宮殿内の墓所に葬られた。

子女

参考文献

外部リンク

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