テンニング包囲戦
From Wikipedia, the free encyclopedia
テンニング包囲戦(テンニングほういせん、英語: Siege of Tönning)は、大北方戦争中に2度起きた、シュレースヴィヒ公国のテンニング要塞の包囲。1度目は1700年におき、デンマーク=ノルウェーは包囲を解かざるを得なかったが、反スウェーデン同盟による2度目の包囲(1713年から1714年)は成功した。
| 第一次テンニング包囲戦 | |
|---|---|
テンニングの防御工事 | |
| 戦争:大北方戦争 | |
| 年月日:1700年3月 - 8月 | |
| 場所:シュレースヴィヒ公国・テンニング要塞 | |
| 結果:トラヴェンタール条約で講和 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| |
第一次テンニング包囲戦は大北方戦争の最初期の戦闘である。デンマーク=ノルウェー、ザクセン=ポーランド=リトアニアの同君連合、ロシア・ツァーリ国は各自でスウェーデン帝国に侵攻することで合意し、スウェーデンに三正面作戦を強いることにした。合意に従い、デンマーク軍はスウェーデンの同盟国で家系的にもスウェーデンに近い[1]シュレースヴィヒ=ホルシュタインに進軍[2]、1700年3月にテンニングを包囲した[2]。しかし、スウェーデン王カール12世は英蘭艦隊の援助を得て奇襲を仕掛け、軍を率いてコペンハーゲンの前に現れたことで、デンマーク王フレデリク4世は1700年8月17日にトラヴェンタール条約を締結、戦争から脱落した[3]。デンマークはスウェーデン軍が1709年のポルタヴァの戦いで敗れてからようやく再参戦した[4]。
