ディオスコロ・プエブラ

From Wikipedia, the free encyclopedia

生誕 (1831-02-25) 1831年2月25日
スペイン、Melgar de Fernamental
死没 1901年10月24日(1901-10-24)(70歳没)
スペイン、マドリード
ディオスコロ・プエブラ
Dióscoro Puebla
生誕 (1831-02-25) 1831年2月25日
スペイン、Melgar de Fernamental
死没 1901年10月24日(1901-10-24)(70歳没)
スペイン、マドリード
テンプレートを表示

ディオスコロ・プエブラ(Dióscoro Teófilo Puebla Tolín、1831年2月25日 - 1901年10月24日)は、スペインの画家である。歴史画や肖像画を描き[1]、王立サン・フェルナンド美術アカデミーで教えた。

スペイン北部、ブルゴス県のメルガル・デ・フェルナメンタル(Melgar de Fernamental)で生まれた。Carrión de los Condesの学校で学んだ後、カスティーリャ・イ・レオン州パレンシアに設立された市立絵画学校(Escuela Municipal de Dibujo de Palencia) に入学した[2][3]。同時期の学生にはホセ・カサード・デル・アリサール(José Casado del Alisal: 1832-1886)らがいる。1845年からマドリード王立サン・フェルナンド美術アカデミーに進み、ホセ・デ・マドラーソカルロス・ルイス・デ・リベーラ(Carlos Luis de Ribera y Fieve)に学んだ。

1858年に3年間の奨学金を得てローマに留学し、ローマでは有名なカフェ、アンティコ・カフェ・グレコに集ったスペイン人芸術家の一人となり、 さらに留学は2年間延長され、フィレンツェヴェネツィアを訪れ、小説家のペドロ・アントニオ・デ・アラルコンと、ナポリポンペイを旅し、パリにも訪れた。

1863年にスペインに帰国した後、カディスの王立美術アカデミーReal Academia Provincial de Bellas Artes de Cádizの教授職を務めた後、1865年からマドリードの王立サン・フェルナンド美術アカデミーの会員に選ばれ、教育部門の要職を務めた。

1864年にバイヨンヌで開催されたフランス=スペイン国際博覧会(Exposition Internationale Franco-Espagnole)で入賞し[4]や1867年のパリ万国博覧会、1876年のフィラデルフィア万国博覧会などに参加した。

イザベル女王勲章(Orden de Isabel la Católica)を受勲した。

1901年にマドリードで没した。

作品

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI