デイヴィッド・オグルヴィ (第4代エアリー伯爵)
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ウォルター・オグルヴィ(Walter Ogilvy、1733年 – 1819年4月10日、ジョン・オグルヴィの息子)と2人目の妻ジーン(1762年ごろ[3] – 1818年6月11日、ジョン・オグルヴィの娘)の次男として、1785年12月16日に生まれた[2]。兄ジョンがいたが、1809年に死去した[3]。
1802年5月15日、エンサイン(歩兵少尉)として第42歩兵連隊に入隊した[5]。中尉への昇進を経て、1806年1月28日に大尉への辞令を購入して昇進した[6]。
父は第3代エアリー伯爵デイヴィッド・オグルヴィの次男ジョンの男子継承者(heirs male)として、エアリー伯爵の継承権を主張して貴族院に請願を出したが、貴族院が決定を下す前の1819年4月10日に死去した[3]。デイヴィッドは同様に請願を出したが、貴族院は3代伯爵の長男ジェームズの私権剝奪によりデイヴィッドはエアリー伯爵を継承できないとの判決を出しつつ、1826年5月26日の議会立法により私権剝奪を取り消した[3][2]。これによりデイヴィッドはエアリー伯爵位を継承した[3][2]。
1828年2月5日にアンガス統監に任命され、1849年まで務めた[7]。1832年イギリス総選挙でスコットランド貴族代表議員に当選した後、再選を繰り返し、1849年に死去するまで務めた[4]。
1849年8月20日に死去、長男が夭折したため次男デイヴィッド・グラハム・ドラモンドが爵位を継承した[2]。
家族
1812年10月7日、クレメンティナ・ドラモンド(Clementina Drummond、1835年9月1日没、ギャヴィン・ドラモンドの娘)と結婚した[2]。クレメンティナはジャマイカにあるプランテーション「フェリー・ペン」(Ferry Pen)を相続しており、結婚によりエアリー伯爵家が所有することとなった[8]。2人は2男5女をもうけた[9]。
- ジーン・グラハム・ドラモンド(1818年2月27日 – 1902年3月4日) - 1837年6月5日、第9代アーバスノット子爵ジョン・アーバスノットと結婚、子供あり[10]
- クレメンティナ・ドラモンド(1819年6月22日 – 1848年10月16日) - 1838年7月17日、ジェームズ・レート(James Rait、1877年2月22日没)と結婚、子供あり[11]
- マーガレット・アーバスノット - 夭折[9]
- ウォルター(1823年9月21日 – 1824年3月27日[2])
- デイヴィッド・グラハム・ドラモンド(1826年5月4日 – 1881年9月25日) - 第5代エアリー伯爵[2]
- マリア・アン(1827年7月23日[9] – 1893年) - 生涯未婚[11]
- ヘレン・スザンナ・キャサリン・ガートルード(1831年11月8日 – 1862年4月26日) - 1859年5月31日、ジョージ・オーガスタス・ペパー=ステーブリー(George Augustus Pepper-Staveley、1890年10月23日没)と結婚、子供あり[11]
1838年11月15日、マーガレット・ブルース(Margaret Bruce、1845年6月17日没、ウィリアム・ブルースの娘)と再婚[2]、4男をもうけた[11]。
