デイヴィッド・トッド (政治家)

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デイヴィッド・トッド
David Tod
第25代オハイオ州知事
任期
1862年1月13日  1864年1月11日
副知事ベンジャミン・スタントン
前任者ウィリアム・デニソン
後任者ジョン・ブラフ英語版
在ブラジルアメリカ合衆国特命全権公使
任期
1847年8月28日  1851年8月9日
大統領ジェームズ・K・ポーク
ザカリー・テイラー
ミラード・フィルモア
前任者ヘンリー・A・ワイズ
後任者ロバート・C・シェンク
個人情報
生誕 (1805-02-21) 1805年2月21日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州ヤングスタウン
死没 (1868-11-13) 1868年11月13日(63歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 オハイオ州ヤングスタウン
政党民主党 (1861年以前)
共和党 (1861年–1864年)
国民統一党英語版 (1864年–1868年)
署名

デイヴィッド・トッド(David Tod, 1805年2月21日 - 1868年11月13日)は、アメリカ合衆国政治家。第25代オハイオ州知事を務め、南北戦争では強いリーダーシップを発揮した。

1805年2月21日、トッドはオハイオ州ヤングスタウンにおいて誕生した。トッドはジオーガ郡バートン・アカデミーで教育を受け、続いてウォレンで法律を学んだ、トッドはウォレンで郵便局長を経た後、1827年にオハイオ州で弁護士として認可を受けた。トッドはマホーニングバレーで主に石炭産業鉄鋼業の案件を扱い、財産を築いた。トッドはクリーヴランド・アンド・マホーニング鉄道の社長となり、知名度を上げた。

オハイオ州知事

トッドは1843年1845年民主党候補としてオハイオ州知事選挙に立候補したが、ともに敗北した。トッドは選挙運動において、国法銀行の制度を強く否定する主張を行った。1847年、トッドはジェームズ・ポーク大統領から駐ブラジル公使に指名され、1851年までリオデジャネイロに駐在した。

かつては民主党の強い支持者であったが、南北戦争が開戦すると、共和党とオハイオ州の戦争派民主党員を軸とする親北同盟に加わった。トッドは1861年の州知事選挙で勝利を収め、知事職を1862年から1864年まで1期2年務めた。

州知事としてトッドは、兵士を募集して州の軍隊を整備しなければならないという難題に直面した。トッドはこれを推し進めたが、州民の反感を買い、「兵士の友」というあだ名をつけられた。トッドはこれに対して、連邦政府による徴兵であったと主張した。トッドは陸軍長官エドウィン・スタントンに対して、次のような手紙を宛てた。

我がオハイオ州としては、――(中略)――、いかなる要請にも応えていきたい。だがこれ以上の増員は、到底不可能である。

南北戦争

評価

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