デイヴィッド・メイ
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2024年 | ||||||
| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | David May | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | (1970-06-24) 1970年6月24日(55歳) | |||||
| 出身地 | オールダム | |||||
| 身長 | 184cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| ユース | ||||||
| -1988 |
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1988-1994 |
| 123 | (3) | |||
| 1994-2003 |
| 85 | (6) | |||
| 1999-2000 |
→ | 1 | (0) | |||
| 2003-2004 |
| 35 | (4) | |||
| 2004-2006 |
| ? | (?) | |||
| 通算 | 244 | (13) | ||||
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
デイヴィッド・メイ(David May, 1970年6月24日 - )は、イングランドの元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。
ブラックバーン・ローヴァーズ
ブラックバーン・ローヴァーズFCの下部組織出身で1988-89シーズンにトップチームに昇格、当時は右サイドバックが本職だったがセンターバックとしてもプレーした[1]。ブラックバーンでは100試合以上に出場し[1]、1992年に創設されたプレミアリーグでは昇格組のブラックバーンのレギュラーに定着し4位フィニッシュに貢献[2]、1993-94シーズンにはマンチェスター・ユナイテッドFCに次ぐ2位となった。プレミアリーグ昇格後のブラックバーンはケニー・ダルグリッシュ監督の下で積極補強を行っていたが、チームの中でレギュラーを守った[3]。
マンチェスター・ユナイテッド
1994年7月、マンチェスター・ユナイテッドFCに移籍金120万ポンドで加入したが[4]、それは契約更新の交渉が決裂したことでブラックバーンでの直近数ヶ月に不満があったためであった[5]。ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督はチームに追加のディフェンダーを求めて探していたが、特に当時のヨーロッパ大会における外国人枠に引っかからないイングランド人の選手が必要だった。またセンターバックはキャプテンのスティーヴ・ブルースが34歳でガリー・パリスターが30歳と、高齢化していたため将来性も重要だった[6]。
右サイドバックのファーストチョイスだったポール・パーカーが負傷したため1シーズン目は右サイドバックとしての出場が多く、ブルースとパリスターの壁も高く本職のセンターバックとしてはほとんど出番がなかった[6]。右サイドバックではパフォーマンスが上がらず、シーズン終盤にはガリー・ネヴィルが新たなファーストチョイスとなり、パーカーは翌シーズンもほとんど出場機会を得られなかったため退団した。
ユナイテッドはプレミアリーグで2位に終わり、古巣のブラックバーンが優勝した[7]。
1995-96シーズン終盤になるとハムストリングを負傷したブルースに代わってチームに定着、最終節のミドルズブラFC戦で先制ゴールを決めた。ユナイテッドはこの試合で3-0と勝利し優勝を果たした。FAカップ1996 決勝のリヴァプールFC戦でも先発出場し勝利に貢献したが、ブルースはベンチ入りすらできなかった[7]。
ブルースは間もなくバーミンガム・シティFCに移籍したため、1996-97シーズンではレギュラーとして40試合以上に出場、当初はパリスターとコンビを組んでいたが、1996年夏に加入したロニー・ヨンセンが代わってレギュラーに定着した。ユナイテッドはプレミアリーグを連覇、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝第1戦のFCポルト戦では先制ゴールを挙げ準決勝進出を果たした。活躍が評価されイングランド代表のメキシコ代表戦にも招集されたが、代表キャップを得ることはなかった[8]。
1990年代の終わりに入るとヘニング・ベルグとヤープ・スタムが加入しウェズ・ブラウンも台頭したためトップチームでの出場機会は非常に少なくなった[2]。しかし、1998-99シーズンにはプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグの三冠を目指す戦いの中で過密日程のローテーション要員として出場した。FAカップ1999 決勝でもスタムがUEFAチャンピオンズリーグ 1998-99 決勝のFCバイエルン・ミュンヘン戦に備えて欠場したため先発出場した[9]バイエルン戦ではベンチ入りし[10]、そのシーズンのチャンピオンズリーグで1分も出場しなかったにもかかわらず[11]、優勝後のセレブレーションを率いた様子が有名になった[5][12]。当時最高のストライカーの一人でありながら約20年のハイレベルなキャリアの中で1つしかトロフィーを獲得できなかったブラックバーン時代のチームメイト[13]、アラン・シアラーを揶揄した「デイヴィッド・メイ、スーパースター!シアラーよりも多くのメダルを手に入れた!(英語: David May, superstar! Got more medals than Shearer!)」という有名なチャントが観衆によって作られた[2][14]。
翌シーズン、ハダースフィールド・タウンFCにレンタル移籍し、ブルース監督の下でプレーした。しかし、デビュー戦で負傷し治療のためユナイテッドに復帰[6]、その後もう3年在籍したが、負傷離脱が多く主にリザーブチームでプレーした。ユナイテッドでは最後の4シーズンでわずか12試合の出場に留まった。出場試合数が少なかったため、プレミアリーグで6度優勝したにもかかわらず、メダルを獲得したのはそのうち2度のみだった[6]。ユナイテッドでの最後の試合は2002年12月3日、EFLカップのバーンリーFC戦だった[15]。
バーンリー
ユナイテッドとの契約が2003年夏に終了すると、無所属となり[16]、ファーガソンの古くからの友人であり[17]、脆弱だった守備陣の補強を求めていたスタン・ターネント監督のバーンリーFCに移籍した[18]。2003年9月のストーク・シティFC戦では得点し2-1の勝利に貢献したが[19]同月末のウィンブルドンFC戦では2枚目のイエローカードで退場処分となった[20]。
2003年12月、練習中にターネント監督と口論になると頭突きをされたが後に和解した[21]。2003-04シーズンはバーンリーで39試合に出場し[22]、頻繁にチームキャプテンを務めた[23][24]。
ベイカップ・バラ
2004年11月、ノンリーグのベイカップ・バラFCに加入し[25]、2006年に現役を引退した[26]。
脚注
- 1 2 Former Blackburn Rovers defender: It's time for Venky's to splash the cash Lancashire Telegraph, 20 June 2011
- 1 2 3 David May – Superstar[リンク切れ] Burnley FC, 17 November 2004
- ↑ Sport.co.uk meets...David May Archived 31 December 2010 at the Wayback Machine. Sport.co.uk, 5 August 2010
- ↑ David May tells M.E.N. Phil Jones is a perfect player for Manchester United Manchester Evening News, 15 June 2011
- 1 2 “David May, what happened next?”. FourFourTwo (2007年7月1日). 2008年3月27日閲覧。
- 1 2 3 4 May's days Archived 25 December 2010 at the Wayback Machine. When Saturday Comes, October 2003
- 1 2 FA Cup flashback BBC Sport, 16 February 2006
- ↑ Moore, Glenn (1997年3月27日). “Dark days over as May shines”. The Independent (London). https://www.independent.co.uk/sport/football-dark-days-are-over-as-may-shines-1275332.html 2008年3月29日閲覧。
- ↑ FA Cup 1999 Archived 10 August 2012 at the Wayback Machine. Manchester United F.C., 6 November 2011
- ↑ Champions League: Where Are They Now? The Bayern Munich And Manchester United Teams Of 1999 Goal.com, 7 April 2010
- ↑ “デイヴィッド・メイの1998/1999での成績”. Soccerbase. Centurycomm. 2019年6月20日閲覧.
- ↑ Bayern Munich v Manchester United: Reds take 'that night' and party Metro (UK), 30 March 2010
- ↑ Injury forces Shearer retirement BBC Sport, 22 April 2006
- ↑ On Second Thoughts: Alan Shearer The Guardian, 26 September 2008
- ↑ “Man Utd march on”. (2002年12月3日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/2524281.stm 2010年3月11日閲覧。
- ↑ Davies, Simon (2003年6月3日). “Roche released”. Manchester United F.C.. 2005年12月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。
- ↑ Stan Ternent cleared of assault Lancashire Telegraph, 7 September 2007
- ↑ Burnley capture defender May BBC Sport, 13 August 2003
- ↑ May leads the way as revamped Burnley dig in The Daily Telegraph, 7 September 2003
- ↑ “デイヴィッド・メイの2003/2004での成績”. Soccerbase. Centurycomm. 2019年6月20日閲覧.
- ↑ “Burnley's history of player-manager brawls”. ESPN (2014年9月25日). 2019年6月19日閲覧。
- ↑ Team Profiles: David May Burnley FC
- ↑ Captain's Delight Burnley FC, 17 November 2004
- ↑ Preston 5–3 Burnley Archived 30 December 2010 at the Wayback Machine. Burnley FC, 20 December 2003
- ↑ May Day massacre Rossendale Free Press, 5 November 2004
- ↑ “Manchester United 1999 Champions League winners – where are they now?”. The Daily Telegraph (London). (2016年5月26日). https://www.telegraph.co.uk/football/2016/05/26/manchester-united-1999-champions-league-winners---where-are-they/david-may/ 2019年6月19日閲覧。