1992年から音楽の世界で活動を始める。後にギリシャのアテネに移り、ヤニス・パリオス(英語版)と活動を共にする。この他、ハリス・アレクシウ(英語版)、ミハリス・ハジヤニス(英語版)、ディミトリス・ミトロパノス(英語版)、ミミス・プレッサス(英語版)、パンデリス・サラッシノス(英語版)、マリオス・トカス(英語版)などと共演する。
オリンピウによる「I kounia mas」はゲオルゲ・サリ(George Sarri)のアルバム『Ftaine oi Aponoi Kairoi』に、「Pros rakosillektes kai sinodiporous」は『Emeis oi Ellines』にそれぞれ収録され、また、パンデリス・サラッシノス(英語版)のアルバム『Ap' tin Tilo os tin Thraki』では4曲にわたって登場する。
初の自己名義のアルバム『Ton Mation sou i Kalimera』には、サラッシノスやマノリ・リダキ(Manoli Lidaki)、ゲラシモス・アンドレアトス(Gerasimos Andreatos)らの手がけた楽曲が収められている。
2002年、ユニバーサルミュージックと契約する。2003年6月、ミハリス・ハジヤニス(英語版)の協力を得てシングル「Vale Mousiki」の製作を始めた。ハジヤニスとのデュエット曲「Na 'soun allios」も収録したアルバム『Vale Mousiki』は後にプラチナ・アルバムとなった。翌2004年には同レーベルから2枚目のアルバム『Exoume Logo』が、2005年には3枚目のアルバム『Auto ine Agapi』が発売される。
2007年春に発売されたシングル「Pes to Dinata」はギリシャおよびキプロスで成功をおさめる。同年発売のアルバム『Mazi Xorista』でもミハリス・ハジヤニスらを制作陣に迎え、アルバムはゴールドとなり、2008年には新たに曲を追加した再発盤が発売された。2010年のアルバム『Mia stigmi』も大きな成功を収め、キプロスではゴールドとなる。このアルバムでもミハリス・ハジヤニスを制作陣に迎え、ヒット曲「Pano stin agapi」などが収録されている。
2012年、ステレオ・マイクとの共演曲「Den s' afino apo ta matia mou」を製作し、キプロスおよびギリシャでヒットとなる。この楽曲はハジヤニスのサポートを受けずに製作され、オリンピウにとって新たな一歩となった。
2013年、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2013にキプロス代表として出場[1]。