デッドライト作戦
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デッドライト作戦(デッドライトさくせん)は、第二次世界大戦の終戦間際に連合国に降伏したドイツのUボートを処分するために計画されたイギリス海軍の作戦。
終戦時に連合国に降伏した156隻のUボートのうち、116隻がデッドライト作戦によって沈められた[1]。イギリス海軍はアイルランド北西部の約100マイル(160 km)の3つの地域に潜水艦を曳航して沈没させる計画を立てた[2]。3つの地域のコードネームはXX、YY、ZZとされた[2]。イギリス海軍はXXを主な沈没場所として使用し、ZZには36隻のUボートを曳航して航空攻撃の練習ターゲットとして使用することを想定していた。YYは天候に問題がなければXXからUボートを迂回させ、海軍で沈没させる想定であった[2]。練習ターゲットとして使用されなかった艦は爆破によって沈没し、それが失敗した場合に艦砲射撃による処分を行う予定であった[2]。
運用実績の面では、計画時に想定された曳航して所定海域で爆破処分するという手順が、実際には荒天と被曳航艦の劣化によって崩れた。曳航開始段階で既に多数艦の機関・船体状態が不良であり、海域到達前の喪失が続出したため、現場での最終処分は爆破より艦砲射撃への依存が強まったと述べている[2][3][4]。
デッドライト作戦開始時、イギリス海軍は多くのUボートの状態が悪いことを確認した[2]。そのため、悪天候による波浪の影響もあり自沈地域に到着する前に56隻のボートを沈め、自沈地域に到着したボートは爆発物ではなく銃撃によって沈められた[2]。作戦によるUボートの沈没は1945年11月17日から1946年2月11日に行われた[2][3]。
何隻かのUボートはデッドライト作戦を免れた。その中のいくつかは、英国、フランス、ノルウェー、およびソビエト連邦によって戦勝品として主張された。ドイツが降伏した後、4隻のUボートが日本海軍に所属し東アジアに配備された。U-181は伊-501、U-195は伊-506、U-219は伊-505、U-862 は伊-502に改名され、他の2隻のボートU-511とU-1224は1943年に呂-500と呂-501に改名された[5]。
デッドライト作戦を生き延びた2隻のUボートは、博物館に展示されている。U-505はアメリカ海軍少将のダニエル・V・ギャラリー指揮下の第22.3任務群に捕獲され、シカゴ科学産業博物館に展示されている。U-995は、1948年10月に英国によってノルウェーに移管され「カウラ」に改名されたが、1965年にドイツに戻り、1971年10月にラーボエの博物館船となった[6]。