デニス・ハル
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| デニス・ハル | |
|---|---|
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シカゴ・ブラックホークス時代 (1977年) | |
| 本名 | デニス・ウィリアム・ハル |
| 原語名 | Dennis William Hull |
| 愛称 | シルバー・ジェット |
| 生誕 |
1944年11月19日(81歳) ポワーント・アン |
| 身長 | 6 ft 0 in (1.83 m) |
| 体重 | 185 lb (84 kg; 13 st 3 lb) |
| ポジション | レフトウィング |
| ショット | 左打ち |
| 所属したチーム |
シカゴ・ブラックホークス デトロイト・レッドウィングス |
| 代表 |
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| プロ選手期間 | 1964年 – 1978年 |
デニス・ハル(英語: Dennis Hull, 1944年11月19日 - )は、カナダ連邦オンタリオ州ポワーント・アン(Pointe Anne 、ベルヴィル近郊)生まれの元プロアイスホッケー選手、スポーツコメディアン[1]。ポジションはレフト・ウイング。
NHL 時代
ジュニアではOHLのセントキャサリンズ・ティーピーズ、セントキャサリンズ・ブラックホークスでプレーした。
1964-1965シーズンから1976-1977シーズンまでの14シーズンをシカゴ・ブラックホークスでプレーし、1977-1978シーズンはデトロイト・レッドウィングスでプレーした。
シカゴ・ブラックホークスでは兄のボビー・ハルと8シーズンに渡ってチームメートであった。ボビーの愛称、ゴールデン・ジェット (The Golden Jet) にちなんで、"シルバー・ジェット" (The Silver Jet) という愛称で呼ばれた。
ボビーがWHAチームに所属していることを理由に、1972年のサミット・シリーズのメンバーから外された際、出場辞退しようとしたが、兄の説得によりカナダ代表に残った。ニューヨーク・レンジャースのヴィック・ハドフィールドを差し置いて、後にホッケーの殿堂入りしたジャン・ラットル、ロッド・ジルベールとのラインを組んで、4試合に出場し、2ゴール、2アシストをあげた[3]。
NHLオールスター第2チームに1回、NHLオールスターゲームのメンバーに5回選出された。センターのピット・マーティン、ライト・ウィングのジム・パピンと組んだ1970年代の初めから中盤が全盛期であり、彼ら3人の頭文字を取って、MPHと呼ばれた。1970-71シーズンから1973-1974シーズンにかけて、40得点、30得点、39得点、29得点をあげ、1972-1973シーズンは、39得点、51アシスト、90ポイントをあげた。この年、プレーオフでもチームトップの9得点、15アシスト、24ポイントをあげ、チームをスタンレー・カップ決勝まで導いた。
現役引退後の1978年に、ジュニア時代に過ごしたオンタリオ州セントキャサリンズに戻り、ブロック大学に入学、歴史学と体育学で学位を取得した。その後、リドリー・カレッジで1年間教員を務めた後、イリノイ工科大学のアスレティックディレクターに就任した[2]。
その後、弟のゲイリーとともに、オンタリオ州ノーサンバーランド郡で肉牛の牧場を営んでいる[2]。
人物
最もスリルを感じた試合は、ゴーディ・ハウと初対戦したときだという。ハウの写真を今でも寝室の壁に貼っている[2]。
1972年のサミット・シリーズの試合前にジャック・プラントがウラディスラフ・トレチャクを訪れて、カナダのスター選手のプレースタイルについてアドバイスをしたが、ハルについてはレッドラインからでもシュートを打ってくると教えている[4]。
ウラディスラフ・トレチャクとは友人であり、トレチャクに対して「サミット・シリーズの第8戦でポール・ヘンダーソンが決めた決勝ゴールで君は有名になった。もしシュートを止めていたら、現在君はモスクワでタクシーの運転手になっていただろう。」と伝えたという[3]。