デルゲ王国

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デルゲ王国は東チベットにあった小王国である。カム地方の産業・宗教・文化の中心であり、デルゲ[1]の町(現在の四川省カンゼ・チベット族自治州徳格県更慶〔デルゲ県ゴンチェン〕の町)を首都としていた[2]

それぞれギェルポ(王)と呼ばれる領主が治めていたデルゲ、ナンチェン、チャクラ、リンツァン、ラトーの五王国や、デパやプンポと呼ばれる世襲の首長の小邦が分立していたカムの中で、デルゲ王は最大の勢力であった。最盛期の人口は12,000戸から15,000戸であった[3]青海湖をもって北の国境とし、東はルジャルロン語のホルパ語を使用する諸邦であるチャンツイとリタン、南西はバタン、サナイ、ゴンジョ、ダヤ、ラト、チャムドとそれぞれ境を接していた[3]

デルゲ王国は金属細工で知られ、チベット仏教超宗派運動の確立における重要な中心でもあった[4][5]。デルゲ王家の人々は芸術の後援者として知られ、デルゲより輩出した芸術家には、王国の宮廷の上師であり、医師や宗教家としても知られたシトゥ・パンチェン英語版などがいた[6][7]。デルゲ王は18世紀前半に清朝土司制度に組み込まれ、徳格土司として冊封を受けながら王国の事実上の独立を謳歌していた。しかし19世紀後半以降、この地域は中国と中央チベットという東西の政権勢力に翻弄される複雑な歴史を辿ることになった[8]

宗教

脚註

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