デヴィッド・アラン (画家)
From Wikipedia, the free encyclopedia
スコットランド中部、クラックマナンシャーのAlloaに生まれた。グラスゴーの美術学校で7年間学び、第9代カスカート卿やマー伯爵の支援を受けることができるようになった。1764年にマー伯爵の支援でローマに旅し、1777年までイタリアに滞在した。イタリアではスコットランドの画家、ゲイヴィン・ハミルトンの指導を受け、イタリアの巨匠たちの作品を模写して修行した。
1771年にロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの展覧会に2点の歴史画を送り、1773年にはローマのアカデミア・ディ・サン・ルカの展覧会で金賞を受賞した[1] 。ナポリも訪れ、風俗画も描いた。
1777年に帰国した後、ロンドンで肖像画家として働いた後、1780年にエディンバラに戻り、1786年にエディンバラの美術学校(Trustees Drawing Academy of Edinburgh、後のEdinburgh College of Art)の校長のランシマン(Alexander Runciman)が亡くなった後、その職を継いだ[2]。市庁舎の近くに工房をつくり、スコットランドの風俗を描いた版画を制作し出版した。アランの弟子にはアレクサンダー・カースらがいる[3]。詩人ジェイムズ・マクファーソンが出版した『オシアン』の挿絵も描いた[1] 。