トアホテル
神戸市にあったホテル(1908-1950)
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歴史
トアホテルは、イギリス人の富豪F・J・バーデンズ(F.J.Bardens [サミュエル サミュエル商會(現在のShell石油)の支配人][2])の屋敷「The Tor」(トールの家)があった場所に建てられた。本館は1908年(明治41年)に竣工し開業した。旧香港上海銀行長崎支店などを手がけた日本人建築家下田菊太郎 設計による全客室バス付の本格的ホテル専用建築で、当時「スエズ以東で最高のホテル」と称された。4000坪の広大な敷地に、地下1階[3]、地上木造3階建、建坪300坪、延べ1000坪[4]。内部には89室の客室と250名を収容できる食堂、読書室、ビリヤードやカードを楽しむ部屋などがあった。最新式の発電・照明設備を整え、客室ごとにバス・トイレ、電話が完備。客が気分や健康状態に合わせて部屋を自由に選べるよう、壁紙の彩色に合わせて家具や寝具をコーディネートするなど、随所に細やかな心配りが見られた[3]。なお、トアホテルを運営していた会社 TOR Hotel, Ltd.は、明治40年3月に設立されており、大正5年時点で資本金20万円であった[5]。
設立当初の主要な経営陣は、F.E.Popert (Chairman), Geo.H.Whymark (Director), C.Holstein (Director)であった[6]。そのうち、PopertとHolsteinは、ドイツ系の海陸運代理業C.Nickel & Co.,Ltd.の取締役であった[7]が、大正6年(1917年)までにはトアホテルの取締役から退いており、Whymarkが新たにトアホテルのChairmanとなっている[8]。Whymarkはイギリス人で[9]、ジョージ・ワイマーク商會[10]や競売・評価・仲次業のKobe Sales Roomsの館主[11]であった。同時期にDirectorになったJ.S.Happerは、紐育スタンダード石油会社支店長であった[12]。経営陣がドイツ系から英米系に変わったといえよう。
トアホテルは日本人向けに「東亜ホテル[13]」という名称も積極的に用いた。「トア(Tor)」という名称については、ホテル開業以前にこの場所にあったバーデンズの屋敷名との関連性が指摘され、英語の「小山」に由来するという説、ドイツ語の「門」に由来するという説など諸説あるが、命名に関しての客観的な証拠がなく決め手に欠ける(トアロード#名称の由来参照)。
大規模な建造物であったが山麓すぐに位置していたため、第二次世界大戦の戦災を免れた。1944年(昭和19年)10月に川崎重工業により買収され[14]、一部を川崎病院山手分院として使用[15]。昭和20年3月と6月の大空襲の後、川崎重工業の本社がホテルに移動[16]。終戦後、旧居留地で破壊されたオリエンタル・ホテルが、トアホテルの建物や庭園を大修理して開業しようとした矢先の昭和20年9月に[16]GHQに接収され、33師団の幹部将校宿舎として使用し、後に神戸ベースの宿舎として使用。1950年(昭和25年)4月22日未明に原因不明の火災により全焼し、1名焼死、10名が重軽傷を負った[4](神戸新聞の記事で「オリエンタル・ホテル深夜に炎上」とあるのは、オリエンタル・ホテルがトアホテルを利用して開業準備を進めていたから[17])。1953年(昭和28年)1月31日に解散[18]。