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アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

1864-1901, フランスの画家 From Wikipedia, the free encyclopedia

アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファフランス語: Henri Marie Raymond de Toulouse-Lautrec-Monfa[1])、1864年11月24日 - 1901年9月9日)は、後期印象派のひとりに位置付けられるフランス画家版画家である[2]。フランス貴族アルフォンス・トゥールーズ・ロートレック伯爵英語版の息子としてアルビに生まれ、乗馬や狩猟といった貴族的な生活を過ごした[2]。少年時代に足を骨折し歩行困難に陥ったことから、療養中に絵画制作に傾倒するようになり、画家を志すようになった[2]。父の友人でもあった動物画家ルネ・プランストー英語版に師事し、素描をはじめとする基礎的な絵画技法を学んだ[2]。1882年からはパリのレオン・ボナフェルナン・コルモンの画塾に入り、エミール・ベルナールフィンセント・ファン・ゴッホとも親交を深めた[2]。1884年にモンマルトルに移ると夜の歓楽街を中心とした作品を多く作るようになり、線描やシルエットでそこで働く芸人や娼婦などの姿を描いた[2]。1890年代に入ると個展を契機として名声を確立し、様々な絵画技法を考案して注目を集めたが、放蕩な生活が災いして1901年に没した[2]。1922年、母親であるアデール伯爵夫人は残されたロートレックの作品をアルビに寄贈し、トゥールーズ=ロートレック美術館が作られた[2]

概要 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックHenri de Toulouse-Lautrec, 生誕 ...
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
Henri de Toulouse-Lautrec
生誕 1864年11月24日
フランスの旗 フランス帝国(第二帝政)タルヌ県アルビ
死没 (1901-09-09) 1901年9月9日(36歳没)
フランスの旗 フランスジロンド県サンタンドレ=ドゥ=ボワ
国籍 フランスの旗 フランス
著名な実績 絵画版画
運動・動向 ポスト印象派世紀末芸術アール・ヌーヴォー
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生涯

リトグラフ『ナポレオン』

アンリは1864年11月24日、南フランスのアルビに生まれた[3]。家はフランスでもっとも古い家柄であるトゥールーズ伯爵家で、両親はいとこ同士[4][5]で、嗜好の違いなどから、冷めた家庭環境で幼年期を過ごした[3]。父親のアルフォンス・トゥールーズ・ロートレック伯爵英語版は、外交的で、変わり者で、気まぐれな性格を持っていた[3]。鷹狩や狩猟を好み、おしゃれを楽しみ、カウボーイサーカシア人、あるいはスコットランドの民族衣装にチュチュを纏った姿など、変わった出で立ちで日常生活を送るなどしていた[3]。一方、母親のアデール伯爵夫人は、敬虔で知的で貞淑な、内向的な性格をしていた[3]。父は叔父とともに素人ながらも素描や塑像制作をたしなんでいたため、家にはアンリを芸術に駆り立てる素地があった[3]

アンリは、幼少期には「小さな宝石(: Petit Bijou)」と呼ばれて家中から可愛がられて育った[6]。しかし、病弱でひ弱だったアンリは思うような成長を見せなかった[3][6]。1872年夏、両親とともにパリシティ・デュ・ルティロフランス語版にあるアパートへ移り、リセ・フォンターヌの第8学年に編入した[6]。又従弟のルイ・パスカルモーリス・ジョワイヤンフランス語版ともこのとき知り合った[6]。アンリは乗馬、湯治、海などさまざまな場所に連れられて治療が試みられたが虚弱な体質は改善することなく、1875年1月9日に同校を去った[6]。偏頭痛や発作、日常的な両脚の疲労[注釈 1]などと向き合いながらもアンリは乗馬を愛し、絵画に情熱を注いだ[8]。この頃から父の友人でもあった動物画家ルネ・プランストー英語版に師事し、素描をはじめとする基礎的な絵画技法を学んだ[2]。1878年5月30日、アンリはアルビの自宅で椅子から立ち上がろうとした際に転倒し、左大腿骨を骨折した[7]。ギブスをはめ、車椅子生活となったが回復はなかなか進まなかった[7]。翌年の夏にはバレージュ英語版滞在中に転倒して右大腿骨を骨折した[7][9]。これにより両脚の成長が阻害され、上半身のみが成長していったため、小人のような不格好な体型になってしまった[10][7]。13歳で150センチあった彼の身長は、成人までに2センチしか伸びなかった[7]。身体的ハンディを背負ったアンリは、ますます芸術活動にのめり込むようになった[10]

アンリの画才をいち早く見抜いたプランストーは、職業画家になるべきだと家族に進言し、アンリは1882年3月よりパリに移り、アカデミックな肖像画家であり教師でもあったレオン・ボナの画塾へと通うこととなった[10]。陽気な性格であり、家庭環境柄金銭に不自由していなかったアンリは、異質な風貌にも関わらずたちまち画塾仲間の人気者となった[10]。アンリはここでカフェカフェ・コンセールに加えて飲酒の楽しみを覚えた[10]。アンリはボナの画塾が閉じることとなった後もパリに留まり、飲み仲間となっていた同僚とともにモンマルトルにあったフェルナン・コルモンの画塾に移った[10]。なお、コルモンの画塾ではファン・ゴッホベルナールらと出会っている[2]

1885年頃のコルモン画塾。手前左端の帽子を被った人物がトゥールーズ=ロートレック。その右上のカンヴァスに向かう人物がコルモン。

1880年代はじめ、モンマルトルに初のキャバレーが開店した[10]。そこにはロドルフ・サリ英語版という男が経営するル・シャ・ノワールという芸術家たちのたまり場があり、アンリも足繁く通い、夜の歓楽街を楽しんでいたが、次第に踊り子たちのエネルギーに強く惹かれるようになり、エリゼ・モンマルトル英語版というダンスホールに通うことの方が多くなった[10]。同じころ、歌手活動をしていたアリスティード・ブリュアン英語版がミルリトンという店をオープンした後は、彼の人間的な性格に惹かれて親交を深めるようになり、自身の絵画スタンスに強く影響を受けるようになった[10]。ブリュアンはアンリの作品をミルリトンに掲げただけでなく、自身が刊行していた雑誌ようにいくつかの素描を依頼するなど、公私にわたって関係が続いた[11]

絵画モデルであった、マリー=クレマンチーヌ・ヴァラドン(後のシュザンヌ・ヴァラドン)のデッサンの才能を高く評価し、彼女が画家となるきっかけを作った。彼女を「シュザンヌ」と呼び始めたのもトゥールーズ=ロートレックであった。

ポスター『ディヴァン・ジャポネ』、1892年

自身が身体障害者として差別を受けていたこともあってか、娼婦踊り子のような夜の世界の女たちに共感。パリの「ムーラン・ルージュ」をはじめとしたダンスホール、酒場などに入り浸り、旺盛な性欲をもとに娼婦たちと頻繁に関係を持つデカダンな生活を送った。そして、彼女らを愛情のこもった筆致で描いた。ロートレックは1891年からリトグラフを製作し始めた。作品には「ムーラン・ルージュ」などのポスターの名作も多く、ポスターを芸術の域にまで高めた功績でも美術史上に特筆されるべき画家であり、「小さき男: Petit Homme)」、「偉大なる芸術家: Grand Artiste)」と形容される。また、脚の不自由だった彼は、しばしば疾走する馬の絵を描いている。彼の作風は日本美術から強い影響を受けており、自身のイニシャルを漢字のようにアレンジしたサインを用いたり、和服姿の肖像写真が残されている。

しかし、奔放な性生活が祟って梅毒を患った上に、アブサンなどの強い酒に溺れてアルコール依存症に陥り、心身共に衰弱していった。やがて家族によってサナトリウムに短期間強制入院させられた後、友人らと旅行に出た後の1901年8月20日、パリを引き払って母親のもとへ行き、同年9月9日、ジロンド県のサンタンドレ=ドゥ=ボワ英語版近郊にある母親の邸宅、マルロメ城英語版で両親に看取られ、脳出血で死去した。最期の言葉は、障害を負ってからは息子を疎んじ、金品は与えたが描く絵は決して認めなかった父アルフォンスに対して発した「馬鹿な年寄りめ!(Le vieux con!)」であったとされる[12]。36歳没。城近くのヴェルドレに埋葬された

死後、彼の作品は父アルフォンスの意向により、母親と暮らしたパリでの少年時代からの親友で画商のモーリス・ジョワイヤンによって管理されることとなった。彼らによって1922年、アルビにトゥールーズ=ロートレック美術館が設立された。 ジョワイヤンはトゥールーズ=ロートレックの伝記及び、美食家であり料理人やパーティーの有能なホストだった彼の一面を紹介した『独身モモ氏の料理法』といった本を著した。現在、同著のレシピはアルビの多くのレストランで供されている[13]。 生家のボスク城は親しい間柄だった母方の従兄弟ガブリエル・タピエ・ド・セレイランが相続し、後にその末裔の女性によって博物館として管理されるようになった[14]。没したマルロメ城はワインの醸造で知られている。

なお、トゥールーズ=ロートレックを扱った映画としては1952年のアメリカ映画『赤い風車』、1999年のフランス映画『葡萄酒色の人生』などがある。

代表作

トゥールーズ=ロートレックのサイン
  • 『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』"Moulin Rouge - La Goulue"(1891) リトグラフ
  • 『エルドラド』" ELDORADO"(1892) リトグラフ
  • 『ムーラン・ルージュにて』"Au Moulin Rouge"(1892-95)(シカゴ美術館
  • 『写真家セスコー』"Sescau Photographe"(1894)

文集(訳書)

  • 『ロートレックの料理法 美食の饗宴』モーリス・ジョワイヤン編、美術公論社、1989年
  • 『トゥールーズ=ロートレック 世紀末のモンマルトルにて』、主に書簡による画文集
藤田尊潮編訳、八坂書房〈自作を語る画文集〉、2014年。ISBN 978-4-89694-167-8

関連作品

ギャラリー

絵画

ポスター

写真

注釈

  1. アンリは左足が生まれつき短く、この頃には杖が必要になるほど歩行が困難となっていた[7]

脚注

関連項目

参考文献

外部リンク

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