トマス・シェリダン (俳優)
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| トマス・シェリダン (俳優) | |
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| 本名 | トマス・シェリダン |
| 生年月日 | 1719年 |
| 没年月日 | 1788年8月14日 |
| 出身地 | アイルランド(出生当時はイギリス領)のダブリン |
| 死没地 | イギリス、マーゲイト |
| 職業 | 俳優、劇場支配人、劇作家、教育者 |
| 活動内容 |
ダブリンのスモックアリー座支配人 |
| 配偶者 | フランセス・シェリダン |
| 著名な家族 | リチャード・ブリンズリー・シェリダン(子) |
トマス・シェリダン(英語: Thomas Sheridan、1719年 – 1788年8月14日)はアイルランドの舞台俳優、劇場支配人、教育者であり、雄弁術や英語改革を広める活動でもよく知られている。アイルランド演劇史において大きな役割を果たした人物であり、ダブリンの最初の本格的な劇場支配人である[1]。作家のフランセス・シェリダンは妻であり、劇作家のリチャード・ブリンズリー・シェリダンをはじめとしたさまざまな文人が子孫にいる。
演劇
トマス・シェリダンは1719年に生まれた[1]。出生地はダブリンかキャヴァンのクウィルカではないかと言われているが、詳細は不明である[2]。イングランド国教会の聖職者でジョナサン・スウィフトとの友情で知られているトマス・シェリダンの3人目の息子である[3]。代父であるスウィフトを通して幼い頃から英語や雄弁術への関心が育まれた[1]。ウェストミンスター・スクールで学んだ後にトリニティ・カレッジ・ダブリンに進学し、1739年に卒業した[1]。1743年に同じくトリニティ・カレッジ・ダブリンでMAを取得した[4]。
1743年にダブリンのスモックアリー座にてウィリアム・シェイクスピアの芝居『リチャード三世』の主役を演じて商業演劇デビューした[1]。同年に自作の芝居『あっぱれなアイルランド人』(The Brave Irishman, or Captain O'Blunder) を上演したが、これはステージ・アイリッシュをひっくり返し、アイルランド人を嘲笑することじたいを嘲笑するような内容のものであった[1]。1745年にはスモックアリー座のマネジメントを担当するようになった[1]。役者としてダブリンで高い人気を博し、キャリアの初期には当時の舞台の大スターであったデイヴィッド・ギャリックと並び称せられるほど評価されていた[1]。1747年にフィリップ・チェンバレンの娘フランセスと結婚した[1]。1756年には単独でスモックアリー座の支配人をつとめるようになったが、経営状況はあまり良くなく、1758年にはダブリンに他の劇場ができたため、さらに状況が悪化した[1]。
雄弁術
シェリダン一家は1758年にロンドンに引っ越し、雄弁術の教育・啓蒙に尽力するようになった[4]。英語の標準化も訴えていた[4]。1762年には Course of Lectures of Elocution (『雄弁術講座』)を刊行したが、これはブリテン諸島でも北アメリカでもよく読まれるようになった[4]。1770年にはバースに引っ越し、英語や雄弁術を教える学校を運営した[4]。シェリダンは声だけではなく仕草や身振りも通して聞き手の感情に自然に訴えるような雄弁術を訓練を通して身につけることを目指していた[4]。さらに当時のイギリスやアイルランドでは古典ギリシア語やラテン語の教育にリソースが割かれすぎ、英語、とくに口語の英語に関する教育がおろそかになっており、これを改革する必要があると考えていた[5]。シェリダンはイングランドとアイルランドの教育改革にも関心があり、さまざまな活動を実施していたが、それほど成果はあがらなかった[1]。
家族
フランセス・シェリダンとの間に以下の子どもが生まれている[1]。
- チャールズ・フランシス・シェリダン (1750–1806)…政治家、著述家[6]。
- リチャード・ブリンズリー・シェリダン (1751-1816)…劇作家、政治家[7]。
- アリシア・シェリダン・レ・ファニュ (1753-1817)…劇作家[8]。『カーミラ』の著者であるシェリダン・レ・ファニュの祖母[9]。
- アン・エリザベス(ベッツィー)・シェリダン (1758–1837)…作家[10]。作家のアリシア・レ・ファニュの母[8]
この他に乳幼児のうちに死亡した子どもが2名いた[1]。
シェリダン一家は「おそらく18世紀の英語話者の中では最も才能に富んでいた一族」だと言われており、多数の著名人を輩出した[11]。
著作
British Education, London: R & J Dodsley, 1756.
A Dissertation on the Causes of the Difficulties which Occur in Learning the English Tongue. London, 1761.
A Course of Lectures on Elocution: Together with Two Dissertations on Language and Some Other Tracts Relative to Those Subjects London. Reprinted in 1974 by Scolar press, 1762.
A Plan of Education for the Young Nobility and Gentry of Great Britain. London, 1769.
Lectures on the Art of Reading, 2 vols. London, 1775.
A General Dictionary of the English Language. 2 vols. London, 1780.
A Rhetorical Grammar of the English Language, Dublin: Price, et al., 1781, reprint, Menston, England: Scholar’s Facimile Press, 1969.
Elements of English, London, 1786.