トマス・ハミルトン (第9代ハディントン伯爵)
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| 第9代ハディントン伯爵 トマス・ハミルトン Thomas Hamilton, 9th Earl of Haddington | |
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| 生年月日 | 1780年6月21日 |
| 没年月日 | 1858年12月1日 (78歳没) |
| 出身校 |
オックスフォード大学クライスト・チャーチ エディンバラ大学 |
| 所属政党 | 保守党(トーリー党) |
| 称号 |
アザミ勲章勲爵士 (KT) 枢密顧問官 (PC) 王立協会フェロー (FRS) |
| 配偶者 | マリア・パーカー |
| 親族 |
第8代ハディントン伯爵 (父) 第4代マクルズフィールド伯爵 (義父) |
| 内閣 | 第2次ピール内閣 |
| 在任期間 | 1841年9月6日 - 1846年1月8日 |
| 国王 | ヴィクトリア |
| 内閣 | 第2次ピール内閣 |
| 在任期間 | 1846年1月21日 - 1846年7月 |
| 国王 | ヴィクトリア |
第9代ハディントン伯爵トマス・ハミルトン(英: Thomas Hamilton, 9th Earl of Haddington、1780年6月21日 - 1858年12月1日)は、イギリスの保守党政治家。アザミ勲章勲爵士、枢密顧問官、王立協会フェロー。1794年から1828年までは「ビニング卿」(Lord Binning)の儀礼称号で称されていた。
スコットランドの貴族代表議員を務めた第8代ハディントン伯爵チャールズ・ハミルトンの一人息子として生まれる[1]。母親のレディ・ソフィア・ホープは第2代ホープタウン伯爵ジョン・ホープの娘。
エディンバラ大学を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで学び、1801年に学士号を、1815年に修士号を取得[1]。
1802年から1806年までコーンウォール州セント・ジャーマンズ選挙区選出の、1807年の1月から5月までカンブリア州コッカーマス選挙区選出の、1807年から1812年までコーンウォール州カリントン選挙区選出の、1814年から1818年までコーンウォール州ミッチェル選挙区選出の、1818年から1826年までケント州ロチェスター選挙区選出の、1826年から1827年までワイト島ヤーマス選挙区選出の庶民院議員[2][3]。
彼は議会におけるジョージ・カニングの支持者であり、カニングが首相を務めていた1827年に「カウンティ・オヴ・ハディントンにおけるタイニンガムのメルローズ男爵」(Baron Melros, of Tynninghame in the County of Haddington; 連合王国貴族)に叙され[4]、貴族院へ移った。なお1814年に枢密顧問官に列せられ[5]、1828年に父親からスコットランド貴族の爵位である「ハディントン伯爵」を相続している。
1831年にホイッグ党の第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイが第1回選挙法改正案(Reform Bill; 選挙法改正法案)を提出したときは反対したが、後に意見を変え、1832年には賛成票を投じた。
1835年、第1次内閣を組織したサー・ロバート・ピールの下でアイルランド総督(Lord Lieutenant of Ireland; アイルランド統監)に任じられる。1841年の第2次ピール内閣ではインドの総督就任を打診されたが断り、海軍大臣(First Lord of the Admiralty; 海軍本部ファースト・ロード)として入閣[6]。1846年に閣僚ポストの入れ替えが行われると王璽尚書となった[7]。