トリーア選帝侯
From Wikipedia, the free encyclopedia
神聖ローマ帝国では、1198年から皇帝を選挙で決めるようになった。その投票権を持つ者を選帝侯(ドイツ語: Kurfürst)という。選帝侯は、初めは帝国大宰相であるマインツ大司教(マインツ選帝侯)、イタリア王国大宰相であるケルン大司教(ケルン選帝侯)、ブルゴーニュ王国大宰相であるトリーア大司教(トリーア選帝侯)、大膳頭[注 1]であるライン宮中伯(プファルツ選帝侯)の4者だった。この4名はライン川流域の有力者である[1][2]。
13世紀になって、これに式部長[注 2]であるザクセン公(ザクセン選帝侯)と侍従長[注 3]であるブランデンブルク辺境伯(ブランデンブルク選帝侯)、献酌侍従長[注 4]であるボヘミア王(ベーメン王)が加わり選帝侯は7名となった。これらの資格や選挙手続きは金印勅書で定められている[1][2][3]。
17世紀にはプファルツ選帝侯に替わってバイエルン公(バイエルン選帝侯)が加わった[4][5]。「プファルツ選帝侯」位はまもなく復活したが、形式としては「新設」の形をとっており、8選帝侯の中で最下位に位置づけられた[5]。さらにブラウンシュヴァイク=リューネブルク公(ハノーファー選帝侯)も加わった[4][6]。
聖職者であるマインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教を三聖界選帝侯(聖界諸侯)、世俗の領邦君主である選帝侯を世俗選帝侯(世俗諸侯)などとも言う。聖界諸侯と世俗諸侯の最大の違いは、聖界諸侯位は世襲が行われない点にある。そのため相続による騒動や領土の分割は発生せず、長い神聖ローマ帝国の歴史のなかでも、世俗諸侯領に比べて安定していた。大司教が死ぬなどして退くと、聖堂参事会による選挙が行われ、ローマ教皇の承認を経て新しい大司教が叙任される[7]。さらに神聖ローマ皇帝の承認によって選帝侯位が授けられる[注 5]。
実際の選挙が行われる際には、トリーア大司教は7名のうち最初に投票を行うことになっている[2][注 6]。
18世紀にはプファルツ選帝侯位が廃止され[注 7]、19世紀にはトリーア選帝侯位が消滅し、ザルツブルク選帝侯、バーデン選帝侯、ヴュルテンベルク選帝侯、ヘッセン=カッセル選帝侯位が新設された[6]。
トリーア大司教位
- 詳細はトリーア大司教およびde:Bistum Trier(トリーア司教区)を参照。

