トンミ・サンボータ
From Wikipedia, the free encyclopedia

トンミ・サンボータ (チベット語:ཐོན་མི་སམབྷོ་ཊ; ワイリー方式:thon mi sam+b+ho Ta) は、チベット文字の創成者と伝わる人物で、西暦7世紀にチベット帝国を建国したソンツェン・ガンポの大臣とされる。
14世紀の歴史書『王統明鏡史』(チベット文字:རྒྱལ་རབས་གསལ་བའི་མེ་ལོང; ワイリー方式:rgyal rabs gsal ba'i me long) や『プトン仏教史』 (チベット語:བུ་སྟོན་ཆོས་འབྱུང; ワイリー方式:bu ston chos 'byung) によると、ソンツェン・ガンポの命でインドに派遣され、そこで文字と文法学を修めたトンミは、帰国後チベット語のための文字を制定し、2編の文法書を記したとされる[1]。トンミが著したと伝わる文法書は、以下の2つである[2][3]。
『三十頌』と『性入法』に対しては、西暦12世紀から現代に至るまで多くの註釈書が記され、現在のチベットにおいても学ばれている[3][4]。
ただし、トンミの生きた7世紀のチベット及び唐の文献には、彼の「業績」に関する言及が見られない[5][6]。『三十頌』『性入法』の註釈書も、12世紀以前のものは一切伝わっていない。ロイ・アンドリュー・ミラーや山口瑞鳳は「トンミ」の史的実在性に疑義を呈している[7][8]。
