トーテュガは1987年3月23日にルイジアナ州 ニューオーリンズ のエイボンデール造船所 で起工される。メキシコ湾 に到来したハリケーン・ギルバート の脅威により、被害予防のため1988年9月15日に進水し、1988年11月19日にローズマリー・パーカー・ショウルツ夫人によって命名され、1990年11月17日に就役した。
1997年、トーテュガは艦長ケネス・M・ローマ中佐の指揮下1998年7月1日から1998年12月8日まで地中海 に展開した。1999年にはJ・M・バードン中佐が艦長に着任、2000年後半に退役するまで艦を指揮した。後任としてジェームズ・P・ドリスコル中佐が艦を引き継ぎ、2000年9月にラムーア・カウンティ (USS La Moure County, LST-1194 ) がチリのバルパライソ沖で座礁し、トーテュガはラ・ムーア・カウンティに代わって10月に南太平洋での演習、UNITAS 2000 に参加するよう命じられた。演習が完了すると、トーテュガはリトル・クリークに帰還した。2001年1月にトーテュガは大西洋艦隊/NATO 平和維持・即応部隊の旗艦 に命じられた。
2005年、トーテュガは艦長マーク・H・スコーヴィル中佐の指揮下バージニア州 リトル・クリーク海軍揚陸基地 を母港とし、大西洋艦隊 揚陸グループ2に配属された。
ハリケーン・カトリーナ の被災者救援のためニューオーリンズ の桟橋に接岸するトーテュガ
2005年8月25日、トーテュガと乗組員は訓練活動を中断し、ハリケーン・カトリーナ の被害に対応するカトリーナ統合任務部隊の一隻としてニューオーリンズ に派遣された。トーテュガはハリケーンの後初めてミシシッピ川 を遡上した海軍艦艇となり、ニューオーリンズ海軍基地の西岸に停泊した。艦はニューオーリンズ対岸での軍事・民間拠点となった。
2005年10月14日に海軍はトーテュガの太平洋艦隊 佐世保基地 を出港した。トーテュガは2006年3月31日に佐世保に到着、フォート・マクヘンリー (USS Fort McHenry, LSD-43 ) と配備交代を行った。この配備交代は乗組員が相互に移乗する「スワップ」という方法による交代で、乗組員とその家族は住居を移動しない。4月12日に2隻の乗組員はスワップを完了した。フォート・マクヘンリーとトーテュガのシップ・スワップは12日間で完了し、これはアメリカ海軍史上最短記録であった。トーテュガの前乗組員はフォート・マクヘンリーに乗艦し、4月13日に佐世保を出航、リトル・クリークへ向かった。
スワッピングから1ヶ月後の5月15日、トーテュガは3ヶ月間の配備に出航した。毎年恒例の Cooperation Afloat Readiness and Training (CARAT) 2006 に参加するためであった。トーテュガは新たに構成された第73.5任務部隊に加わり、シンガポール 沖で WESTPAC ロジスティック・グループ司令官の直接指揮下に置かれた。部隊はトーテュガ、ホッパー (USS Hopper, DDG-70 )、クロメリン (USS Crommelin, FFG-37 )、サルヴォア (USS Salvor, ARS-52 )、シャーマン (USCGC Sherman, WHEC-7200 ) の5隻から構成された。部隊はシンガポール、タイ海軍と共に活動、インドネシア 、マレーシア 、ブルネイ 、およびフィリピン を訪問した。
トーテュガは2007年9月1日に行われた東京都 の災害訓練に参加し、LCAC-1級エア・クッション型揚陸艇 を使用して帰宅困難者の輸送訓練を行った。2008年3月および2010年3月には硫黄島 を訪問している。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震 に伴う日本政府の要請を受けて、救援活動に派遣され、北海道の苫小牧から青森の大湊まで陸上自衛隊第5旅団 の人員および機材の輸送を行った。
2013年8月23日、アシュランド と交替してリトル・クリーク海軍揚陸基地へ母港が変更された。