トーマス・A・ワトソン

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トーマス・オーガスタス・ワトソン(Thomas Augustus Watson、1854年1月18日 - 1934年12月13日)は、アレクサンダー・グラハム・ベル1876年電話を発明したときの助手として知られる人物である。

死没 1934年12月13日(1934-12-13)(80歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州パス=ア=グリル英語版
概要 生誕, 死没 ...
トーマス・A・ワトソン
Thomas A. Watson
ベルのオリジナルの電話機を持つ晩年のワトソン
生誕 Thomas Augustus Watson
(1854-01-18) 1854年1月18日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 マサチューセッツ州セイラム
死没 1934年12月13日(1934-12-13)(80歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フロリダ州パス=ア=グリル英語版
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生涯

ワトソンはマサチューセッツ州セイラムに生まれた[1]。当初は簿記や大工をしていたが、ボストンのチャールズ・ウィリアムズの機械工場でより自分に合った仕事を見つけた。その後、当時ボストン大学の教授をしていたアレクサンダー・グラハム・ベルに雇われてその助手となった。彼らは電話の発明で知られている。

ベルの実験ノートによれば、隣の部屋にいたワトソンをベルが呼ぶために"Mr. Watson – Come here – I want to see you."と言ったのが、電話で話された最初の言葉となった[2]。実際に使われた言葉については議論がある。1931年にベル研究所のために作られたドキュメンタリー映画の中で、ワトソンは、最初の言葉は"Mr. Watson – Come here – I want you."だったと語った。

ワトソンは、1881年に27歳でベル電話会社を辞めた。ワトソンは、電話の発明に参加したことで得られた特許使用料で、まず農業を始めた。一時期、シェークスピア俳優として成功し、その後、機械工場を設立した。1883年、ワトソンはフォアリバー造船所を設立した。同社はすぐにアメリカ海軍軍艦の建造を請け負うようになり、1901年にはアメリカ最大級の造船所になった。その後、第二次世界大戦中ベツレヘム・スチール社に買収され、同社の主要な造船所の一つとなった。

1915年1月25日、ワトソンは、サンフランシスコのグラント・アベニュー333番地で、ベルがニューヨークのデイ・ストリート15番地のテレフォン・ビルディング英語版からかけた世界初の大陸横断電話英語版を受信した。ウッドロウ・ウィルソン大統領や両市の市長もこの電話に参加していた[3]

1926年に自叙伝"Exploring Life: The Autobiography of Thomas A. Watson"を出版した。

77歳のとき、インドの霊的指導者メヘル・バーバーにイギリスで会って感銘を受けたワトソンは、1931年のバーバーの初の渡米の手配をした[4]。バーバーに会ったワトソンは、「私の78年の人生で、神の愛とは何かを経験したのは今日が初めてだ。メヘル・バーバーに触れられただけで、それがわかった」と言ったと伝えられている[5]。しかしその後、ワトソンはバーバーに幻滅することになる[6]

1934年12月13日、心臓病により、フロリダ州パス=ア=グリル英語版の避寒用の別荘で亡くなった。遺体はマサチューセッツ州ノース・ウェイマスの墓地に埋葬されている。その墓地は、かつてワトソンが設立した造船所を望む場所にある[7]

私生活

トーマス・ワトソンは、エリザベス・ワトソン(Elizabeth Watson)と結婚していた。ワトソンが亡くなった後も妻のエリザベスはパス=ア=グリルに住み続け、1949年にフロリダ州セントピーターズバーグの病院で亡くなった。

脚注

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