トーマス・ジョージ・モントゴメリー

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トーマス・ジョージ・モントゴメリー
トーマス・ジョージ・モントゴメリーが描いたK1(マッシャーブルム)K2のスケッチ、1856年。

トーマス・ジョージ・モントゴメリー中佐(Thomas George Montgomerie FRS1830年1878年)は、1850年代インド大三角測量中尉として参加したイギリスの測量官。世界第2位の高峰にK2という符号を割り当てたのはモントゴメリーであり、「K」はカラコルムを意味していた。K2は、この山峰の名称として定着し、今でも最も頻繁に用いられる呼称となっている。

山稜への登攀の試みは失敗することが多かったものの、モントゴメリーをはじめとするインド測量局が19世紀に実施した測量は、極めて正確なものであったことが明らかになっている。彼らによって計算された山峰群の標高は、今日広く認められている標高の値と非常に近い。

1865年には、パンジャーブからカラコルム山脈に至る測量の功績に対して、王立地理学会から金メダル(創立者メダル)を贈られた[1]

測量の成果を受けて、モントゴメリーは、インドの測量の範囲をチベットにまで広げる試みに関わることとなった。チベットは、イギリス帝国の一部ではなく、外国人には封鎖されていたので、彼は訓練を受けたインド人たちを雇って、チベット人の旅行者に偽装した、いわゆるパンディットとしてチベットの領域内に送り込んだ。

1867年、少佐に昇任していたモントゴメリーは、中央アジアの探検を行う地元出身のエージェントを雇い入れることを任務として、ペシャワールに派遣された。モントゴメリーはチトラルバダフシャーンの測量を行うために多数を雇い入れ、その中には、1870年スワート藩王国英語版ディール藩王国英語版、バダフシャーンを回ったヒデル・シャー英語版もいた[2]

主な論文

脚注

外部リンク

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