トーマス・ジョージ・モントゴメリー
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山稜への登攀の試みは失敗することが多かったものの、モントゴメリーをはじめとするインド測量局が19世紀に実施した測量は、極めて正確なものであったことが明らかになっている。彼らによって計算された山峰群の標高は、今日広く認められている標高の値と非常に近い。
1865年には、パンジャーブからカラコルム山脈に至る測量の功績に対して、王立地理学会から金メダル(創立者メダル)を贈られた[1]。
測量の成果を受けて、モントゴメリーは、インドの測量の範囲をチベットにまで広げる試みに関わることとなった。チベットは、イギリス帝国の一部ではなく、外国人には封鎖されていたので、彼は訓練を受けたインド人たちを雇って、チベット人の旅行者に偽装した、いわゆるパンディットとしてチベットの領域内に送り込んだ。
1867年、少佐に昇任していたモントゴメリーは、中央アジアの探検を行う地元出身のエージェントを雇い入れることを任務として、ペシャワールに派遣された。モントゴメリーはチトラルやバダフシャーンの測量を行うために多数を雇い入れ、その中には、1870年にスワート藩王国、ディール藩王国、バダフシャーンを回ったヒデル・シャーもいた[2]。

