トーマス・ハーンズ
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来歴
生い立ち
子供の頃はいわゆる「もやしっ子」。アメリカのテネシー州メンフィスで生まれ、5歳の時にデトロイトに移住。母親ロイスとの母子家庭で育つ。8人兄弟の長男。母親はハーンズがボクシングをすることに反対していた。
アマチュア時代は155勝8敗の好成績だがKOはわずかに12。ワンツー主体の非力なアウトボクサーだった。しかし、1974年にキング・ソロモンジムを離れ、クロンク・レクリエーション・センターでトレーナーを開始したばかりのエマニュエル・スチュワートと出会い、才能を開花させる。
プロデビュー
1977年11月のプロデビュー後は強打者に変身。いきなり17連続KO勝ちを収めた。その後もセンサク・ムアンスリン、エディ・ガソといった元世界王者・世界ランカーを倒し続けた。
1980年3月2日、アンヘル・エスパダを4回KOで下し空位のUSBA全米ウェルター級王座を獲得した。
同年8月2日、プロ3年目でWBA世界ウェルター級王者、ホセ・クエバスへの挑戦が実現。11度(10KO)の防衛を果たし、最強と言われた王者に2回右クロスでKO勝ちし、王座を獲得した。その後3度防衛、3度目の防衛戦はアストロドームで開催されパブロ・バエスに4回KO勝ち。
1981年9月16日、WBC世界ウェルター級王者、シュガー・レイ・レナードとの統一戦を迎える。拮抗した実力を持った両者の、互いの持ち味を出し尽くした熱戦となったが、14回にレナードの集中打を浴びTKO負け。王座から陥落した。
1982年12月3日、ルイジアナ・スーパードームでウィルフレド・ベニテスを判定で下し、WBC世界スーパーウェルター級王座を獲得。2階級制覇を達成した。1984年6月15日には破壊力抜群の右ストレートでロベルト・デュランを2回失神KOで下すなど、4度の防衛に成功した。
1985年4月15日には3階級制覇を賭け、ミドル級統一王者マービン・ハグラーに挑戦。初回から激しい打ち合いとなり、初回に右手を骨折した。このため、ハーンズは横方向の動きとジャブを使ってハグラーを中に入らせない戦術を取り、ハグラーの額をカットすることに成功した。リングドクターは試合ストップを検討したが試合続行を許可。その直後、ハーンズはロープ際でハグラーに捕らえられて失神し3回TKOで敗れた。
1986年3月10日の再起戦で、WBC世界ミドル級1位のジェームス・シュラーを初回失神KOして健在をアピール。NABF北米ミドル級王座を獲得。6月23日、WBC世界スーパーウェルター級王座4度目の防衛戦で同級IBF前世界王者マーク・メダルに8回TKO勝ちで防衛成功後に同王座を返上した。
1987年3月7日にはデニス・アンドリュースを10回TKOで破ってWBC世界ライトヘビー級王座を獲得。3階級制覇を達成した。

1987年10月29日、王座決定戦でファン・ドミンゴ・ロルダンを4回KOを下し、WBC世界ミドル級王座を獲得した。史上初の4階級制覇を達成した。
1988年6月6日、アイラン・バークレーに3回TKOで敗れWBC世界ミドル級王座から陥落した。
1988年11月4日、ジェームス・キンチェンを12回判定で下しWBO世界スーパーミドル級王座を獲得。史上初の5階級制覇を達成した。
1989年6月12日、WBC・WBO世界スーパーミドル級タイトルマッチで、宿敵シュガー・レイ・レナードと王座統一戦で再戦、二度のダウンを奪うも、最終12回にレナードの猛反撃を許したのが響いて引き分ける。しかし全体的にハーンズ優勢と見る意見が多く、シーザース・パレス屋外特設会場を埋めた観衆はレナードにブーイングを浴びせ、ハーンズの勝利を支持した。
1991年6月3日、ヴァージル・ヒルを12回判定で下しWBA世界ライトヘビー級王座を獲得。
1992年3月20日、アイラン・バークレーに12回判定で敗れWBA世界ライトヘビー級王座から陥落した。それ以降はマイナー王座に矛先を移し、1994年1月29日にNABF北米クルーザー級王座、1995年3月31日にWBU世界クルーザー級王座を獲得。1999年4月10日、ネート・ミラーを12回判定で下しIBO世界クルーザー級王座を獲得した。
2000年4月8日、ユーライア・グラントに2回KOを喫し、IBO世界クルーザー級王座から陥落し、同時に現役引退を表明した。
2005年7月30日、ジョン・ロングを8回TKOで下し5年ぶりの復帰を果たした。
引退後

2006年1月1日、自宅で13歳の息子を殴打したことによる家庭内暴力の容疑で逮捕されるも罪に問われず、2月4日には復帰2戦目で10回TKO勝ち。以降は公式試合に出場することはなく、再び引退している。
2010年4月3日、約500,000ドル滞納した税金を返済するためにオークションを開催、数々の記念品や1957年製のシボレーやボートなどを売却した。その他に居住しているミシガン州サウスフィールドの自宅にも500,000ドルの負債が残っていた[1]。
2026年3月、ハーンズが認知症を患っており、ハーンズの財産を管理し詐欺などから守るために、長男のロナルド・ハーンズが裁判所から後見人兼財産管理人に任命された。また、ハーンズは税金を滞納したために差し押さえで自宅を失い、ロナルドの所に身を寄せ同居していることが報じられた[2]。
人物
身長185cm、リーチ203cmという中量級選手としては非常に恵まれた体格を生かし、左腕をだらりと下げたデトロイトスタイル(ヒットマンスタイルとも呼ばれる)から放つフリッカージャブ[3]と正確な強打、マシンガンのように繰り出すラッシュで1980年代のボクシング・シーンを席巻した。
マービン・ハグラー、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュランらと共に「黄金の中量級」と称された時代を盛り上げた選手の一人。
戦績
- プロボクシング:67戦 61勝 (48KO) 5敗 1分
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1977年11月25日 | ☆ | 2R 1:59 | KO | ジェローム・ヒル | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1977年12月7日 | ☆ | 3R 1:27 | KO | ジェリー・ストリックランド | ||
| 3 | 1977年12月16日 | ☆ | 3R 2:41 | KO | ウィリー・レン | ||
| 4 | 1978年1月29日 | ☆ | 2R 1:15 | KO | アンソニー・ハウス | ||
| 5 | 1978年2月10日 | ☆ | 3R 2:45 | KO | ロバート・アダムス | ||
| 6 | 1978年2月17日 | ☆ | 2R 1:18 | TKO | ビリー・グットウィン | ||
| 7 | 1978年3月17日 | ☆ | 2R 2:15 | TKO | レイ・フィールド | ||
| 8 | 1978年3月31日 | ☆ | 3R 2:08 | KO | タイロン・フェルプス | ||
| 9 | 1978年6月8日 | ☆ | 1R 1:49 | KO | ジミー・ロスウェル | ||
| 10 | 1978年7月20日 | ☆ | 2R 2:08 | KO | ラウル・アギーレ | ||
| 11 | 1978年8月3日 | ☆ | 2R 2:59 | KO | エディ・マルセル | ||
| 12 | 1978年9月7日 | ☆ | 3R 2:01 | KO | ブルース・フィンチ | ||
| 13 | 1978年10月26日 | ☆ | 1R 1:09 | TKO | ペドロ・ロハス | ||
| 14 | 1978年12月9日 | ☆ | 4R 0:51 | KO | ルディ・バロ | ||
| 15 | 1979年1月11日 | ☆ | 10R 2:03 | TKO | クライド・グレイ | ||
| 16 | 1979年1月31日 | ☆ | 8R 終了 | TKO | サミー・ルーカード | ||
| 17 | 1979年3月3日 | ☆ | 8R 2:25 | TKO | セグンド・ムリーリョ | ||
| 18 | 1979年4月3日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アルフォンソ・ヘイマン | ||
| 19 | 1979年5月20日 | ☆ | 6R 終了 | TKO | ハロルド・ウェストン | ||
| 20 | 1979年6月28日 | ☆ | 3R 2:59 | KO | ブルース・カリー | ||
| 21 | 1979年8月23日 | ☆ | 2R 終了 | TKO | イノセンシオ・デ・ラ・ロサ | ||
| 22 | 1979年9月22日 | ☆ | 3R 1:17 | KO | ホセ・フィゲロア | ||
| 23 | 1979年10月18日 | ☆ | 3R 2:31 | TKO | センサク・ムアンスリン | ||
| 24 | 1979年11月30日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | マイク・コルバート | ||
| 25 | 1980年2月3日 | ☆ | 3R 2:27 | KO | ファイティング・ジム | ||
| 26 | 1980年3月2日 | ☆ | 4R 0:47 | TKO | アンヘル・エスパダ | USBA全米ウェルター級王座決定戦 | |
| 27 | 1980年3月31日 | ☆ | 1R 2:56 | TKO | サンティアゴ・バルデス | ||
| 28 | 1980年5月3日 | ☆ | 1R 2:41 | KO | エディ・ガソ | ||
| 29 | 1980年8月2日 | ☆ | 2R 2:39 | TKO | ホセ・クエバス | WBA世界ウェルター級タイトルマッチ | |
| 30 | 1980年12月6日 | ☆ | 6R 2:00 | KO | ルイス・プリメラ | WBA防衛1 | |
| 31 | 1981年4月25日 | ☆ | 12R 3:00 | TKO | ランディ・シールズ | WBA防衛2 | |
| 32 | 1981年6月25日 | ☆ | 4R 2:10 | TKO | パブロ・バエス | WBA防衛3 | |
| 33 | 1981年9月16日 | ★ | 14R 1:45 | TKO | シュガー・レイ・レナード | WBA・WBC世界ウェルター級王座統一戦 WBA陥落 | |
| 34 | 1981年12月11日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アーニー・シングルタリー | ||
| 35 | 1982年2月27日 | ☆ | 1R 1:48 | KO | マルコス・ジェラルド | ||
| 36 | 1982年7月25日 | ☆ | 8R 1:29 | TKO | ジェフ・マクラッケン | ||
| 37 | 1982年12月3日 | ☆ | 15R | 判定2-0 | ウィルフレド・ベニテス | WBC世界スーパーウェルター級タイトルマッチ | |
| 38 | 1983年7月10日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | マレイ・サザーランド | ||
| 39 | 1984年2月11日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ルイジ・ミンチロ | WBC防衛1 | |
| 40 | 1984年6月15日 | ☆ | 2R 1:07 | TKO | ロベルト・デュラン | WBC防衛2 | |
| 41 | 1984年9月15日 | ☆ | 3R 2:56 | TKO | フレッド・ハッチング | WBC防衛3 | |
| 42 | 1985年4月15日 | ★ | 3R 1:52 | TKO | マービン・ハグラー | WBA・WBC・IBF世界ミドル級タイトルマッチ | |
| 43 | 1986年3月10日 | ☆ | 1R 1:13 | KO | ジェームズ・シュラー | NABF北米ミドル級タイトルマッチ | |
| 44 | 1986年6月23日 | ☆ | 8R 2:20 | TKO | マーク・メダル | WBC防衛4 | |
| 45 | 1986年10月17日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ダグ・デビット | NABF防衛1 | |
| 46 | 1987年3月7日 | ☆ | 10R 1:26 | TKO | デニス・アンドリュース | WBC世界ライトヘビー級タイトルマッチ | |
| 47 | 1987年10月29日 | ☆ | 4R 2:01 | KO | フアン・ロルダン | WBC世界ミドル級王座決定戦 | |
| 48 | 1988年6月6日 | ★ | 3R 2:39 | TKO | アイラン・バークレー | WBC陥落 | |
| 49 | 1988年11月4日 | ☆ | 12R | 判定2-0 | ジェームズ・キンチェン | WBO世界スーパーミドル級王座決定戦 NABF北米スーパーミドル級タイトルマッチ | |
| 50 | 1989年6月12日 | △ | 12R | 判定1-1 | シュガー・レイ・レナード | WBC・WBO世界スーパーミドル級王座統一戦 WBO防衛1 | |
| 51 | 1990年4月28日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | マイケル・オラジデ | WBO防衛2 | |
| 52 | 1991年2月11日 | ☆ | 2R 2:02 | KO | ケンパー・モートン | ||
| 53 | 1991年4月6日 | ☆ | 3R 2:08 | TKO | ケン・アトキンス | ||
| 54 | 1991年6月3日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | バージル・ヒル | WBA世界ライトヘビー級タイトルマッチ | |
| 55 | 1992年3月20日 | ★ | 12R | 判定1-2 | アイラン・バークレー | WBA陥落 | |
| 56 | 1993年11月6日 | ☆ | 1R 2:34 | TKO | アンドリュー・メイナード | ||
| 57 | 1994年1月29日 | ☆ | 1R 2:09 | TKO | ダン・ウォード | NABF北米クルーザー級王座決定戦 | |
| 58 | 1994年2月19日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | フレディ・デルガド | NABF防衛1 | |
| 59 | 1995年3月31日 | ☆ | 1R 2:55 | TKO | レニー・ラパグリア | WBU世界クルーザー級王座決定戦 | |
| 60 | 1995年9月26日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | アール・バトラー | ||
| 61 | 1996年11月29日 | ☆ | 5R 2:45 | KO | カール・ウィリス | ||
| 62 | 1997年1月31日 | ☆ | 5R 2:47 | KO | エド・ダルトン | ||
| 63 | 1998年11月6日 | ☆ | 1R 1:28 | KO | ジェイ・スナイダー | ||
| 64 | 1999年4月10日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ネート・ミラー | IBO世界クルーザー級王座決定戦 | |
| 65 | 2000年4月8日 | ★ | 2R 終了 | TKO | ユーライア・グラント | IBO陥落 | |
| 66 | 2005年7月30日 | ☆ | 8R 3:00 | TKO | ジョン・ロング | ||
| 67 | 2006年2月4日 | ☆ | 10R 1:35 | TKO | シャノン・ランドベリ | ||
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