ドイツによるアルバニア占領

第二次世界大戦中、ナチス・ドイツによって占領された時期のアルバニア From Wikipedia, the free encyclopedia

ドイツによるアルバニア占領(ドイツによるアルバニアせんりょう、アルバニア語: Shqipëria nën pushtimin gjerman)は、第二次世界大戦中の1943年から1944年まで、アルバニアナチス・ドイツに占領されていた時期の解説である。

1943年9月14日-10月24日 イブラヒム・ビチャクチュ英語版
1943年-1944年 メフディ・フラシェリ英語版
概要 アルバニア王国, 言語 ...
アルバニア王国
Mbretëria Shqiptare (アルバニア語)
Albanisches Königreich (ドイツ語)
アルバニアの位置
アルバニア王国の地図(1943年)
国歌Himni i Flamurit(アルバニア語)
旗への賛歌
言語 アルバニア語
首都 ティラナ
国家元首
1943年9月14日 - 10月24日 イブラヒム・ビチャクチュ英語版
1943年 - 1944年 メフディ・フラシェリ英語版
首相
1943年 - 1944年 レジェプ・ミトロヴィツァ英語版
1944年7月18日 - 8月29日 フィクリ・ダイン英語版
1944年9月6日 - 10月26日 イブラヒム・ビチャクチュ
面積
1939年 28,748km²
1943年 52,667km²
人口
1939年 1,063,893人
1943年 1,701,463人
変遷
ドイツによる占領 1943年9月8日
共産主義の支配と解放 1944年11月29日
通貨 フランガ英語版
現在 アルバニアの旗 アルバニア
コソボの旗 コソボ
北マケドニア共和国の旗 北マケドニア
モンテネグロの旗 モンテネグロ
先代 次代
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ローマ帝国 2C BC-4C AD
オスマン帝国による支配 1385-1912
概要 アルバニアの歴史, イリュリア ...
アルバニアの歴史
アルバニア国章
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解説

かつてアルバニアはイタリア王国の保護下にあった(イタリア保護領アルバニア)が、1943年9月3日休戦協定に調印し、イタリアが降伏したことで、イタリアは枢軸国から離脱し、全土から軍も撤退した。その後ドイツ国防軍がアルバニアに侵攻し、ドイツの支配下に入り、従属国であるアルバニア王国(Albanian Kingdom)が成立した[1][2]

その翌年には、パルチザン共産主義勢力による抵抗を受けて、11月28日にドイツ国防軍は全土から撤退、この日をもってアルバニアは枢軸国の支配から解放された。

歴史

1943年9月にイタリア王国が連合国に降伏した事でイタリアによるアルバニアの占領統治は終焉を迎えるが、次いでドイツ軍の占領下に置かれてしまった為にイギリスに亡命中のアルバニア王ゾグー1世は帰国できなかった。一方、アルバニアの国家主義者はアルバニア・ファシスト党を再編して大アルバニア防衛を結成すると進駐してきたドイツ軍に加担し、今度はナチ党を模倣したアルバニア・ナチ党を結党した。しかしドイツによるアルバニアの支配は他の地域より緩やかで、保護領政府はユダヤ人への追放や殺害などの迫害を拡大せず、首相もアルバニア・ナチ党からは選出されないなど影響力は限定的だった。またドイツは第21SS武装山岳師団「スカンデルベク」を編成して(かつてイタリアがそうした様に)彼らを戦力化したが、大量の脱走兵を出したスカンデルベク師団は半年余りでアルバニア人部隊からドイツ人部隊へと再編された。

ちなみに、イタリア時代にはイタリアと敵対していたアルバニア民族主義組織・バリ・コンベタールアルバニア語版はイタリア降伏以降はドイツと協力した。なぜならバリ・コンベタールはドイツと同じく反共主義を掲げており、さらには共通の敵であるユーゴスラビアやギリシャのゲリラ、そしてアルバニア共産党に対抗するという目標があったからである。

1944年に入るとアルバニアは共産パルチザンとの内戦状態に陥り、アルバニア・ナチ党はアルバニアとコソボでパルチザンと戦闘したが、ドイツ軍撤収後の1944年11月には消滅状態となった。占領から開放されたアルバニアではゾグー派の国家主義者とソビエト連邦の支援を得たパルチザンが争い、後者が勝利を得てアルバニア人民共和国が成立した。エンヴェル・ホッジャの指導の下で安定を得たアルバニアにゾグーの戻る余地は無く、そのままフランスで客死した。

脚注

参考文献

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