ドイツ軍歌
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誕生

ドイツ帝国が1871年に成立する以前、全土の軍隊に共通して歌い継がれるような統一的な「ドイツ軍歌」は存在せず、その種類も限定されていた。
ナポレオン戦争の時代(19世紀初頭)には、プロイセン王国を中心に、フランスの支配に対する抵抗と民族意識の高揚から**『プロイセンの歌(Preußenlied)』のようなナショナリズム的要素を帯びた軍歌がすでに存在していたものの、これはあくまでプロイセンという一邦国のための歌であった。
その他のドイツ諸侯は、その独立性や独自の軍制を強く保持し、時には互いに対立する分裂状態にあり、全ドイツ兵士の士気を結集させるための統一的な軍歌・愛国歌を育む環境は完全に欠如していた。
しかし、この分裂状態の中でも、共同の敵(フランス)に対する防衛意識から生まれた歌は例外的に広く共有された。その代表的な例が、普仏戦争(1870-1871年)[1]直前に大いに歌われ、国民的な愛国歌となった『ラインの護り(Die Wacht am Rhein)』である。この曲は、ライン川を防衛線として宿敵フランスの侵略から国土を護るという、地理的・文化的なナショナリズムを喚起する歌であり、後の帝国軍歌の礎となる精神的な統一意識を醸成した。 [2]
ドイツ帝国成立後、宰相オットー・フォン・ビスマルクが主導した、演説で「鉄と血」の必要性を訴えたことに由来する鉄血政策に基づく一連の軍政改革の中で、[3]ようやくこの統一的な軍歌の制作と普及が本格的に開始された。[4]
この改革は、各邦国の軍隊をプロイセン軍の制度を核とする統一帝国軍へと再編することを目的としており、全兵士に共通する軍歌は、この新たな「帝国」への忠誠心を植え付け、多様な出身地の兵士たちを一つのナショナル・アイデンティティで結びつけるための、不可欠な象徴的装置として機能したのである。
ドイツ帝国と一次大戦
1871年のドイツ帝国成立後、帝国軍(Deutsches Heer)はプロイセン王国の軍制と伝統を基盤としつつ、全ドイツ兵士の統一的な士気と愛国心を高めるための軍歌、行進曲集整備した。プロイセンの代表的な行進曲であった**『ケーニヒグレッツ行進曲』などは、そのまま帝国軍の主要な行進曲として採用され、帝国全体で共有される「ドイツの行進曲」としての地位を確立した。[5]帝国主義の高まりとともに国家への忠誠と軍事的な栄光を歌う風潮が強まった。
そして1914年に第一次世界大戦が勃発すると、これらの軍歌・愛国歌は、国民的な高揚感(アウグスト体験)を背景に、兵士と銃後双方の熱狂的な愛国心を煽る役割を最大化した。開戦当初、前線へ向かう兵士たちはラインの護りなど、勇壮な歌を合唱し、短期決戦への期待に胸を膨らませた。しかし、戦争が長期化し、西部戦線での悲惨な塹壕戦が常態化するにつれて、初期の熱狂を歌う公式の軍歌は、戦場の過酷な現実と兵士の心理との間に大きな乖離を生じさせた。そのため、兵士の間では、厭戦的な感情や故郷への郷愁を歌った非公式な歌、(Ich bin soldatなど)あるいは後に第二次世界大戦で世界的に有名になる『リリ・マルレーン(Lili Marleen)』**の原型のような感傷的な歌も広がり始め、公式な軍歌が全てを支配する状況ではなくなっていった。しかし、公式に整備された統一軍歌の存在は、終戦までドイツ帝国の軍事的アイデンティティと士気維持の根幹として機能し続けた。
作曲・作詞者
主な作曲及び作詞者はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンやヨハン・シュトラウス1世である。一部は音楽に精通した兵士が作ったものもある。例)ナチス党歌、旗を高く掲げよを生み出したホルスト・ヴェッセル(英雄的な30年代の突撃少尉)など[6]
問題点
ナチス・ドイツとの関連性
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)指導者アドルフ・ヒトラーの秘書を務めたトラウデル・ユンゲの手記によれば、ヒトラーがこの行進曲を好きだと言ったため一躍「ヒトラーお気に入りの行進曲」ということになり、この曲ばかりが演奏されることになったとヒトラー自身が語っている[7]。このことによりファシズムとともに一部の音楽が禁止されているのも事実である[要出典]。
後世に作られた軍歌
ドイツ軍歌と呼ばれる中には、後世に作られた軍歌が散見される。
Wo alle Straßen endenは、過酷な塹壕戦をモチーフに絶望、悲惨、ニヒリズム的な歌であるが、ホルスト・ハインツ・ヘニング(1920-1998)が作曲したドイツの軍事行進曲/ドイツの反戦曲である。通常、この行進曲は第一次世界大戦中に作曲されたと思われがちだが、記録によると、この作品は1950年代後半から1960年代前半に始まった。
Die toten erwachenは、ネオナチグループのWolfnachtが2003年にドイツの詩をもとに作曲したものである。